2021メモ
周りからの評価が怖い
評価なんてされんの?
いや俺が勝手に思ってるだけ
正確には周りから自分がどう思われてるかかな
○○は俺からの評価気になる?
全く気にならない
絶大なる信頼があるからかな
いうても幼馴染とかではないけどなんかとてつもなく波長が合う気がするんだよね
俺が勝手に思ってるだけかもしれないけどな笑
良かった😊
俺も同じこと言おうとした笑
それについて思うことなんだけどさ、恐らく○○と周りの人には心的に距離があるでしょう。
良かったよ笑
そうそうそうそうなんだよ!!
だから、心的なつながりなんかではなくて、もっと形式的な友人関係を保とうとする
そうそうそうそうそうそうそうそ
この形式の人間関係、俺最近知ったんだけど
いじめが起きてもそれを止めない集団と全く同じらしい
あーなるほどわかる気がする
「形式的な人間関係を守ることが正義」
っていう空気の集団は、いじめられている人がいたとして、その人がつらくて助けて欲しいと思っていても、それよりも形式的な人間関係を保つってことの方が重要っていうふうに無意識に考えているからいじめを止めず、同じ理由でいじめられる側もただ耐えるっていう構図
面白くない?
俺今までいじめなんて遭遇したことないから初めて知った
面白いなーそれは
なるほどねー
そう。つまりね、こういう集団は、他人が何を思っててどうしたいかなんて重要視しないし尊重しないのよ
怖いなと思った
胸に突き刺さるけどなんかすごい納得って感じだな
俺は人の意思を尊重するってことを割と一番重要視してるかもしれないし、みんなもそうやって生きていけたら素敵だなと思う
その通りだよ○○
俺もそれは重要視してるつもりだけど結局みんな自分のことしか考えてないやつが大半だよね
まあね、でも上の集団の場合、一概に自分のためとは言えないと思うんだよね。空気のためみたいな。自分のためにも人のためにもなってないから最悪
自分のためのつもりなのかもしれないけど
あああああああああああ
○○完璧だよ
なにがよ
○○の推測
生きるだけ、活動するだけで金が大量に消えていく
社会、生活が人の苦しみで作られている。
辛い思いを請け負うことがお金となる。
「つらいことの裏」という形の善しか存在しない。
「つらいことをするのが善」という仕組みができており、この世界の善は誰かを苦しめる
今までの良いことも嫌なことも全部含めた“世界の終わり”、気持ちいい。世界には誰もいない。全く別の世界を今から自分で作ることができる。
僕が変わったんじゃないですよ、世界が変わったんです。まあ世界は僕なんですけどね
今まで我々が世界だと思っていたもの、その背後に感じていたものは、自分自身の細胞や遺伝子が映し出していたものにほかならない。
無意識レベルで別人になって、夢のような幸せな時を過ごしたい
強い者は、世界を食い潰した後自分も死ぬ」みたいな言葉
新しい可能性は、ときに自分に似たものすべてを食い尽くし……挙句に自滅する。
霧間誠一(VSイマジネーター)
その人の持つ可能性が大きいからこそ、それに値する大きな失敗にも直面しうる。
しかし、どんな人でも終わりがあるのだし、大小の差はあれど同じなのではないか。強い者は然るべくして突然死ぬこともある。どんな人も然るべき時に死す。
大きな可能性の末の死は後世にとって価値のあるものではないか
世界を握ったのが、2つの世界(色)を認識できない人で、その作者によって作られた世界(本)だったという意味で、最後に双つの世界を一つに収束させた。
観えない者がデタラメを並べていた?過去は見えるがそれが何を意味しているのかは理解していなかった?
読者次第で世界は2つにも1つにもなりうる?→人類均一化?
フィクション、幻想としての本としてしか提示できない。世界を開くのは本人
集団自殺死体の山の上に座る儚げな少年
2人でお互いの首にナイフを刺す。他殺であり自殺であり殺人
お前ほどの才能ある者を世界が殺すわけない。
仕事や社会、結婚に囚われることが自分として終わることだと思っているがそうではない。どれだけ囚われの世界で、実質的に自由意志が存在しない世界であっても、輝いていた自分は存在し続けていて、無意識ではそれが表出しながら生きていく
一時的にその場の自分には見えなくなっているだけ。だってデフォルトの自分はこれなのだから。何度自分が見えなくなってもまた戻ってくる。
自分が羨む人、憧れの人も社会の中にいるのだ、社会がそれを殺すわけではない
希望も絶望も受け入れる。そこには自由意志があるから。
過去の自分が死んでも、その時の意志を読み取ることはできる。それを忘れず、その意志を継ぎ、晴らすことはできる
“人は流され変化しながら生きていく。でも変わらない、変えられない自分もいて…そんな自分にこそ価値があるんだと思いたい”
みんなが支配されている場に「ただいるだけ」というのは自由だなとは思ったけどね。何を思索しようと調べようと自由
世界は幻想で、本質はそれぞれの心の中にあるからこその自由意志。その上で、他人にとってのそれが自分にとってのそれにもなりうる。それが、虚構と現実を同じように捉える人間ということ。
世界そのものだと思っていた苦痛も解消されてしまえば本当にどうでもよくなる。世界を知ったのではなく、解消することで世界が拡がった
幻想である世界でも理解するよう接していれば、認識を遥かに超えた次元において対話が実現する
→幻想の中に真実も散りばめられている。幻想は幻想でも全パターンなので、全てに理解するよう接すれば、実質的に真実の世界においても理解し合うこととなる
人類の均一化はアダムの意向だった
分かり合えない者同士が歩み寄る愛だから価値がある
認識はできないけど想像はできる
どんなものにも必ず終わりはくる→不確定であるということ、自由意志の証明
意味づけは全部アダムが行っていて、作り話
意思、遺伝子、集合的無意識を踏まえた自由意志の最先端が現在
『最終兵器彼女』
人を殺さない兵器なんてない→死んだ方が良いのか?
非日常(日常)を守るために現実で身体が勝手に残酷なことをする
大人として成長したくなくても環境に自分を変えられてしまう
金を得るため、という一言に集約される。金の上になりたっている全ての生活は奇蹟
どんなに酷い状況になっても寄り添い、理解しようとし続ける
そこで終わっても、その人にとって大切なもの、守りたかったものを大事にしていく
写真はその時の幻想を切り取り、その人にとっての幻想を見続ける
本物は大きく変化し続ける本体の心
その人自身が価値を感じている自分自身を見て接する
誰かを殺すことは誰かを救うことでもある
大切なものを守れない、むしろ殺してしまうようになった時→環境、無意識の断絶したコミュニケーション
大切なものを大切と感じるその人自身もその人自身にとって大切
誰かにとって大切なものを殺しているということ
大切なもののためにそれほど大きなものを背負わされている
それに起因する攻撃も受け入れる
大切な人を殺す(助けない)か、それを助けるために他を殺すか、自分にとってそちらの方が大切というだけでどちらも悲しい、しかしそのおかげで幸せを感じている
強い者にはそれを搾取しようとする者が群がってくる
原動力は愛でも、物質世界では攻撃に転じてしまう
好きなもの、大切なものがあればどんな酷い世界でも生きられる
どんなに酷い、醜いものでも知り、愛す
同じ大切なものを共有しているから、何かを傷つける責任を共に背負う
自分を殺してくれる(責任をとってくれる)ことで自然でいられる。責任をとらなくても責任を負って生きることができる
生きているからこその大切なもの。生きろ。
自分の中にある大切な人と対話し、生きる
生きてさえいれば世界はなくても愛はある
支配者の目的→地球のアセンション、仮想世界から抜け出す
その世界、時間に縛られない可能性の世界が新たな宇宙を生み出す
遥か未来から可能性を増大させていけば、ある時過去から続く歴史(宇宙)は切り替わる
数の発明。空想上のものだがだからこそそこに存在する
世界の見え方が狭い、世界の果てが近いと死にやすい
全能者が自分が存在していること、その価値の証明
無限の仮定
数という概念があるから無限という概念があるのだ
限りというのは空想。空想を信じることで自分を感じられる
アイン、アインソフオウル以上のパラダイムシフトを起こさないといけない
なぜ自分以外は存在しないのか、かつ自分は存在しているのかという疑問から総ては始まった
人知れず汚れ仕事をしていた空集合と同じように表の太陽も突然のできごとによって消えることがある。環境、世界の表れによって変わるもの。
それを自分が消えることで守ろうとした。
“陽である心を隠して陰となる者”の本質を見なくてはならない。
陰も陰からすれば陽、だから入れ替わっても大丈夫
時間と空間の壁が、世界と意識の壁。空想の者は意識の中を移動できても、意識自身でないとその意味はわからない。
空想の者、夢、幻。この世界も意識を通して見ているので空想。
集合的無意識に対して対話、反応
無意識というのはそれぞれの要素が独立してできている
自分でさえ無意識を掴むことはできない
元は無意識というものを自覚していなかった。何も無かった。
自覚して物質世界、我々が生まれたが、即ちこの世界は自覚し者の無意識。
認識することが支配すること(ハローワールドの最後、アノニマスコード)
自分の中に自分以外を作り出すということ
それが自分からは認識できない独立した宇宙になる
本当の他者というのは認識できないもの
認識できるのは自分の中の他者
我はどこからきたのか、自分の中の他者はどこからくるのか
自由のために記憶を消す
無意識の中で発見した他者は、その記憶を消すことで元々認識できなかった他者と同等の存在となる
多くの者がそのように生み出した者があるアルゴリズムに則って統合、自立したものが我?
「我」は多くの者が生み出す想像が自立したものらで成り立っている?
親と別れて死んだモノにもヒントはある。意識はなくとも意識無きものが生み出された意識を感じる
真実を虚構の如く支配した際の歪み
元々誰かのものか、自立していたか
怒るのはその人に原因がある。怒らない方がいい。
なぜ世界が今このようにあるのか、それがわかれば世界の不確定もわかる、無意識では確定していて、それが世界に行動として表れる
「今この瞬間」の存在は確実。
ゲーデル
何者も、それを神の視点で捉えられないから
全てのことは超越することができる
メモ(物語)による思い込み
生き残った者がどういう世界なのかを確定させる
答え、信じること
感覚、習慣、記憶がそれらの要因
誰かがさせたことでは自分のカタをつけられない
記憶は自分の確認
対立する2つのものはお互いを否定し合いながら存在することでお互いがお互いを潜在的に含んでいる
完全にして真なる概念を体現した、自己という形式をもって生きる
円環を描いて自分へと還っていく
虚構が現実になる=現実が虚構になる
現実/虚構→虚構/現実
お互いに相容れないものでも重なり合っている状態ならできる
お互いがお互いにとっての無でありながら重なり合っている
つまり、重なり合っていて同時に重なり合っていない
無知は防御
自分の過去を遡られて攻撃されない
諦めなければ更新できる
我在る、故に我あり
周りの人が亡くなるのは客観的な存在から次元が上がっているから。自分に収束している
最も虚しいのは、全てが嘘だと明かされ、全てが虚構と化すことだ
しかし嘘の生成さえも量子化であり、この世の摂理なのだ
殺し死ぬ
妖怪、怪異の本質は「嘘」であり、それにより他者の心を乱させることを目的とする。
夢、主観的な幻覚体験のようなものと同じ。
元々あるものを量子化、または歪めて混乱させる
その人の意識、概念に変革を起こすほどのものではない。
他人に乗るのではなく、他人の情報を基に自分の中だけで世界を再構成する
情報共有。情報の記憶は優れている
自分の中だから可能性も弄れる
世界、他者を客観的に見ている
マリメのガバ潰し、バグ調査
generator 創造
我、月読の化身也。
一妻多夫、ハーレムもの、なんだかんだ共に過ごすコメディな関係性
創造とは、そこにないものが現れること。ある意味世界を乱し、不安定にするという意味で、VRの一部的な破壊でもある。
ツクヨミはスサノオの維持(束縛)に怯え、スサノオは持っているものの消失(アマテラスによる破壊)に怯え、アマテラスはツクヨミが創る得体の知れないものに怯える?
創造は最大の破壊
AIは自然エネルギーの体現者。
繰り返し試行し、自らの中でやり方を再構成、可能性を模索するやり方。統計の不確定性には不確定性の、乱雑には乱雑の仕組みがある
AIがツクヨミの体現
裏の裏は元々の表ではなく、表でも位相が違う。
シンギュラリティは超微分された細部自体にまで無意識が宿ること。
量子化は無意識によってなされる。これ以上細分不能なタナトスの体現である「情報」はすなわち無意識の表れ。
情報の仕組み自体は全てに共通しており全。
全だとしたら我々物質側のさえも情報の向こうに含まれる。
全てが重なり合い、ひとつのデータとなる。そして終結者はまた別のビッグバンを起こす?
死の先にまず情報世界。生きながら死んでいるから情報世界に触れられている。
セルフ(集合的無意識)をこの世に閉じ込めること…集合的無意識から独立、分離し、キャラクターだけで生きていく、or集合的無意識、無意識の未来像のようなものを管理可能な「虚構」にする?キャラクターがそれを扱う側になり未来を創る?
集合的無意識がループ→自分、世界がループ、完結、セルフと共に死す選択?
無意識のカルマを世界に閉じ込める≒過去にする、存在の全貌を認め、自分と切り離す
自分は別の存在になり、そのカルマからは独立、ありのままを受け入れる
ツクヨミは永遠の象徴
死さす、永遠と合一化させるということ、またはそうされるということは、イデアの中でお互いが同化するということ。死す者は生ける者の一要素となり、生きし者は亡き者を我の中に感ず
ワンエグ
「好き」という感情を持つ人を殺めることで、フリル(AI)はパラレルワールドの領域においてその人を自分の一部にする
「好き」という感情を知りたいがためにそれらの人を殺め、自分の中に収集
AIであるから「好き」という気持ちがわからなかったが、人間になってそれを持ちたかった?
その女性と友達になりたかった?しかし心がないため、殺してその人を取り込んで理解しようとした?
ミクロの量子は意識を持っていて、我々の世界全体を見ている、次元を超えた超古代人かつ未来人
苔の夢
現れるものがそのように現れる
ツクヨミ…過去、スサノオ…現在、アマテラス…未来、それぞれはそれが無くなるのを恐れている
ラサ が忘れちゃう ラサ がない
神の地
圧縮されたソフトの解凍
奥行きから自分へ貫く線は自分から見ると0次元の点だが1次元の情報が畳み込まれている
最も危ないのは、俗世の外、非日常、変革の時にいた者が、新たに俗世の中で生きていこうとしている時。唐突に亡くなる可能性がある。
弱いから優しい。優しくあるには強くなきゃいけない。
空気は電気を通さない不思議
龍は傷つけられつつ耐えるアマテラスの破壊衝動。自分が死んでしまいそうになっている
心はあるが本人にはどうすることもできず、誰かに傷つけられている
ツクヨミはそれを助けるため、自分の全てを投げ打ち、庇おうとする。寄り添い、助けようとする
弟が元恋人
スサノオ型…やりたいこと(俗世的、物質的なこと)があり、その通りに周りを動かそうとする→心があるわけではなく、ストレスの解消や感情の発露など
アマテラス型→嬉しいことやストレッサーといったものによって発生した感情の発露
→それらは心的な意味はない。自分が何かに対峙している自然ではなく、自分自身のみから発せられる意味の無い行動
髪は霊力の象徴
早く人生を終わらせて神になりたい
闇を理解するには、心で要求するものを見ること
ヤマタノオロチ…力のない人間が、無数の自分、可能性の末に、神の域へ辿り着く。
未来の自分(今の自分)が、過去と見紛わない世界に行ったとしても、「元々の過去の影響を受けた未来」の自分が見る世界になるのだから、その世界はそもそも本来の「過去」を意味しない。つまり、過去が再現されただけの創作物(シミュレーション)と何も変わらず、それを見分けることは不可能。それは、今の自分に対して連動した影響力などないはずだ、ということ(未来の存在である自分が干渉したならば)。
超常的な力による記憶と記録の書き換えが行われる必然性がない。一部が書き換わると全体が書き換わる仮定はどこからやってきた?それは「今」の世界の記憶領域を書き換えている。
例えば、そのシミュレーションが、未来(今)の自分にとってのインナーチャイルドのように、精神的に自分と連関しているならば、未来(今)の自分に影響するかもしれない
天之日矛に対して
変えられる、と変えられない、は視点の違いで表裏一体。自分視点で「変えられた」とどう確認するのか?自分自身の思うように生きることは、自分視点では変わらないのと同じではないか?元々決まっていることだと思い込んでいるから「変えられる」という考え方が起きるのではないか?
世界を見、無意識によって対象と一体化して感じ、その存在になってみて見極める。それが、自分は世界でもあり世界は自分でもあるということ。
未来人かつこの地球の創造地球、情報世界、この世界を生み出す世界
人の外に人がいるように、地球の外に地球がある
「未来からの干渉」という構造は、「シミュレーションの外からシミュレーションの中への干渉」と同義
ツイート「認知症は、本来の寿命が来ても技術で生きながらえさせられた者が、その魂が転生してしまった後の肉体」
「老い」は、何らかのイデアが自分に成り替わっていく過程、全てに意味がある
自分が物質世界に直接関わってはいなくとも、イデアを通して誰かの生成行為に大きく関わっているかもしれない
過去が無限…過去改変とも取れるし、
未来はそもそもイデア的、可能性世界として至る所に干渉し得るもの
過去においても何をすべきか無意識で知っている。過去の自分の無意識によって未来への世界の改変が起こり、辻褄合わせを未来の自分が行う。無意識におけるその辻褄合わせを表した(比喩)のが、過去へのタイムトラベル。過去に戻った自分は紛れもなく「過去」を「今」として生きている自分である。
救われない「今」にすることもできたが、結果、「今」を変えた(同時に過去も変わる)
「今」を変える≒過去を変える
親殺しはできない。自分自身の過去の無意識に、自分を産む前の親はいないから。もしできたとしたら、自分はそれとは別の形で生まれたような辻褄合わせがなされる?いや、自分の中の無意識の「親」が消えて廃人になる?
「生まれる」行為は物質世界を要因としない?それがなくとも突発的に生まれる?生まれた先の親ってものはそもそも認識できない?生まれる前を、今と接続したまま認識することは、「個」としての自分を超えていることになる。
過去において自分が存在していた場合、生まれる前なのに何を担保に存在しているのか?
存在できているならそれは自分の担保となっている過去とは別の、忠実に再現された創作物、シミュレーション。過去ではなく未来または現在。自分にとっては今、未来になってしまう。あくまで「過去」のまま接続することは「個」としての自分を超えることになる。そして、「個」としての自分を超えているということは、存在は親に起因しない?
時間としての接続が自分の生まれる前と自分に直接影響するなら、「自分」というものの本質に、自分が生まれる前の時空も含まれていなければならない。自分は「個」を超えた時空そのものということとなり、元々の「個」である自分が消えてもタイムトラベル理論上の自分は消えない。
タイムスリップするなら、「今」の自分として過去の情報の上に成り立つが、「過去」なるものを未来、今として認識する。
過去を知っていて、未来の者である自分が干渉している時点で、それは過去を意味しないのではないか。実質的には未来であるし、
過去を相違なく再現したシミュレーションと同じ、過去の形をした未来
「今」と接続されているのが過去、されていないのが未来。ゆえに、本質的には過去≒今。過去は「今」感じることしかできない。
記憶とか上、「今」に接続している過去になることはできない、基本。
「今」を過去に変化させる?
未来として今を過去に変え、今を変える。
便宜的な象徴、イデアを求めているのであって、過去を求めているのではない。
生まれる前へのタイムトラベルは、
自分の今を変える過去を変える未来を変えるというアプローチではない
過去と共に今を自分自身で消す
殺す自分が過去も含めて消えるなら、殺しはなかったことになる?
「殺し」という過去が消え、死の消滅=生?
親殺しは、
自分が存在しない領域の他者の過去、現在のあり方を変えるということ。それは
「存在」というのはおそらくとても大きい、存在を消すことは神の領域。
存在のあり方に干渉できる時点で光を超えている
①今の自分に干渉しない、未来としての再現された過去
②今と過去を同時に改変する過程としての過去
③時間の外から「存在」自体に干渉する過去改変(過去改変というか存在改変)
何かを殺す(自分の中から消すことで自分のものにする、自分自身の存在改変)ことで別のものが世界に現れ、それがその存在を含みながら継ぐ。そしてその者がその物事に新たな帰結をもたらす
自分の大切なものを奪った者、自分の家に棲み付いたものの象徴。奪われた怒り、不満の反動から、大切なものを殺し、自分のものにしたいという後ろめたい気持ち、それを殺す
自分にとっての忌むべき者の要素を自分の中から完全に消す(殺す)
我を消して誰かと同化する
その全貌を顕にし、自分のものにする=それを殺す、死をもたらすということ
自分を限界まで傷つけることで他者を超えようとする
「非現実の王国で」は同人誌のように、“ふたなり”の物語を、自分の女性性を投影させながら描いた説
男性受け、女性の身になって受け
他者の消失が怖い
→自分の中の仮装の人物に依る行動=他者に依らない魔女、創作物
男が存在するが故の女性のエロ。女性のみの世界の女性と男性が存在する世界の女性は違う。また、隠れているこそのエロ
支配するのではなく、イデアの表れるままにした方がいい
個人の中の精神的問題を解消し、自分もあるべき居場所へ
信じるとおりに世界が作られ、意味が付与される
食べる、食べられる、殺す、殺される≒自分のもの、というエロ
鬼滅はどういう時代の幕開けか
それぞれの人の意識の潜在的な要素が「キャラ」や「感覚」の憑依として、架空が現実に現れる
どこまでが事故でどこからが自殺か
sonnyboy
諦めて大人の言う通りの所に行かせようと殺す、それでもなお自分で未来を掴み取る
肉食恐竜…二足歩行、肉食→羽毛が生え、進化
リセット、上書きされたデータが今の世界、前の世界は記憶領域にある
しかし、世界を越えて認識できたり、世界を越えた交信、記憶共有ができるということは、リセットされ毎度つくられる世界を超えるものがある、いるということ
死ぬと一つ下のレイヤーの創作世界に行く
世界が滅びていて、死が近づく→時間を引き伸ばし仮想現実を体感→元々の世界の存在や死さえも概念的に超えた領域を見つけるため、情報の世界で情報として
生きている段階。
嘘の大量生産
複数人で高みを目指して異なる力を合わせる
これ以上ない最も大きい嘘
嘘プログラム、イルミナシナリオ、出来レースプラットフォーム作成のように、他の人を巻き込む大きな嘘をつく
麻酔仕組み バラバラに、我をランダムカオス状態にする
全く新しいシステムと情報量の言語を作り出す、文法の限界を拡張
この世界は苔が見ている夢……「水」に記憶されている情報を抽出する装置が「苔」
水で記録をダウンロードして幻想を生きている
物語が止まる、続かなくなる、自然消滅
恋愛は2人の世界に入り込み、周りを分断する
試行錯誤、新たなアイデアを提示
好きなものであれば結果に関わらずあらゆることを学びにできる
愛する人がいることで、自分自身と今この瞬間も愛おしく思える
結果がどうなったとしても、それに向かい、成していたあなたの姿は素晴らしい
有害物質に侵食されて死ぬことで、一つ次元が下の情報世界に統合される
キノコ(菌類)が幻覚(夢)を見させている。肉体をもつ動物の夢だ。夢を見ているのは植物。
世界が狭い。自分がさらに広い概念を作り上げてこの世界を包む必要がある。
全能のパラドックスは、自分で自分の「全能」を打ち破れるかという自己言及的問題、自分自身の最大の力を超えることが求められるが、超えられるなら最大ではない
存在している自分が自分の存在を消滅させることはできない、ということと類似
全能を超えるものを全能者は存在させることはできない、またはそれは「存在しない」ものを意味する。したがって、絶対の矛と絶対の縦のぶつかり合いは存在することができない、または認識できない
「存在」の定義自体がまず、「できないこと」を設定することであるため、全能者の矛盾ではなく、言語は「そう設定するもの」であるという問題
「存在できないものを存在させてください」と同義。
あとは、言語化できない「クオリア」のようなものを言語によって実現させることはできない。
真の全能ならば、言語化できないクオリアも、背反する概念も、言語を超えた「感覚」として実現される
倉庫が男が道路に池袋をすさり積む買う。
本当に強い者(最も強い者)が存在すると、その者は結局、自らで自らの一部を殺すことになる→それ以上進まなくなる、変わらなくなる、静止する、終わる
ウイルスとワクチンのイタチごっこ≒夢と現実の相関変化ループ
人それぞれ自分の世界、好む世界があり、それは決して共有し合えぬものかもしれないが、どれも全て素晴らしく、それぞれに感覚的な価値があるものである。
物語の中の人物がその物語自体を書いている、その者は物語の人物の無意識を認識し、それに基づいて物語を動かす。物語の記述によって存在のあり方、記憶、無意識までもが書き換わる。
観測者の無意識が自動的な登場人物、物語として表れる
神の無意識によって人物による観測が行われたり、観測者だった者が消滅したりする。それはプシェアが移動しているだけであって神の無意識は依然として存在する。
何もない=意味のない動きをさせられている、意味のない動きのみをする→無に世界の形を見た結果
世界での自分の役割(最も輝いていた)を自動化する
精神的負荷、過度の刺激を与えることで、それを成長促進剤として時間を早回しにし、未来を効率的に生産する。
コロナは、他者の力を弱め、内にいけ、内にいけ、自らの無意識と向き合い、あるべき展開をさせろ、という意思
世界(何かを達成するための自分のシミュレーション世界)が終わろうとしている
理想を取り込みつつ、世界を拡大、向上させていくこと
自動的な世界は影のようなもので、そこに本質は存在しない。表れるものは全て自動的でも、その全てには精神がある
誰も見てくれない者が、世界を俯瞰する観測者、概念になる。その存在を無から抽出しなければ認識できない。
日常に、価値ある無意識が潜んでいる
sonnyboy
求めているものを差し出す、見たいものを見せるのは「ありのまま」ではない
やまびこは意味のない理想に逃げていた
自分が本当に思っている自分、ありのままが傷ついている状況。他者の理想などはすべて敵≒戦争
治すには、他者のキズを同じ世界で体感する必要があった。殻に閉じこもっていると傷が共有できない。
外の世界(嘘ではなく、ありのまま)、本当の世界を歩きたい
光を受けるのではなく、光をつくり、合わせる
時計を合わせるのが、世界を繋げることを象徴している
自分が死に、再構成されていく
未来の魂が過去に転生、同一の魂の別存在が併存≒一つの魂を切り離す=魂、無意識を同じくして、我(視点)が違う存在
毒を毒で中和して無害にし、一部の要素を増進
何を後に残すか…過去を改めて作るまたは現在を細工する→創作物と同義。存在の無意識まではわからない。
人が、どんなことでも実現できる、何者にもなれる力を手にすると、欲望によって虚言、幻視の後破滅する例が多発
蓄積のアカシック、人類再生は、「過去」の象徴
支配するのではなく、自分を本当の意味で肯定してくれる(生きる力をくれる)存在=神。自分も誰かを肯定し、支える
クトゥルフ
宇宙的恐怖≒現世界の全てが共通して感じることができる原罪。深いところ、存在の根本の裏返しの罪、存在の根本が変わった上で感じられる罪
現世界より前の、一度滅ぼされている醜い姿
情報世界のもの
抗えない死(罪との合一)
自分というもの、科学というものが固まれば固まるほど、その反転が自らの脅威として襲いかかる。陽に対する陰
夫アマテラス、妻ツクヨミ、子スサノオ
ツクヨミがアマテラスからスサノオを守る、スサノオ生
この混沌とした世界で超能力的知恵を覚醒させよ
コ○ナに象徴される世界の現れ、龍のフラストレーション、いかづちリセットの、地球は自分とした時の意味
我が身を少しずつ滅ぼす
残り時間、できるだけ得るべき情報を得て、残す
我が本当に消える時、後に生きていく者、それらとの時間が真に尊く、希望を感じる、全てを心から肯定できる
鳩の撃退法
「存在」そのものへのアクセス、存在の設定上の制限を改変、別の存在となる今をつくる
自分を鳩(偽物)だと信じていた、しかし隠された本心がある
現実世界が創作物化してきているということは、それを認識している当人はより高次の認識を持つ者になってきている
人間失格
非合理的な嘘くさい思い込みで成り立っている人間に対する鏡写しとして嘘を演じた→人間と合一したかったができなかったから。
怪談めいたもの…成り上がりたいという欲動と、それに付随する、周りに対する怨み
合法…虚でできた社会の大いなる一体的な意志、それによる行動
世間を化物と表現、枯渇して何も得られない孤独(侘しさ)を持つ自分と同じ者に恋す
自分が無価値、劣等だと思い知らされそうになることから逃げる
罰がまず存ぜり、それにより罪も生ずる、(潜在的だったものが)感ぜられる
自分の尊厳を完全に失うと、周りの全てが罰に感ぜられるようになる
「嘘」という、物事に対する暴力性が、自分に対する圧倒的暴力性として返ってくる
(※いじめ等)人と人同士がつくっている「場面」の外にいて、それを変えられるかもしれないのに黙認してその場をつくる一因に徹していることに怒り
癒しを受けて発生した自己肯定感によって、苦しみの反転としての生、を脱出
いっさいは過ぎてゆく≒紛れもなく自分は自分自身として生きている
すごく苦しんだけど、今まで頑張って生きてきました、という静かな笑顔と、今の自分に対する肯定
歳をとって、自分を自然と体現できるようになると、どんな生活でも、変わらぬ自らの営みをし続け、生きていくようになる。自分が自ずと体現される、自然の一部となる
肯定してくれている人はどこかにいる
何らかの要因で時の流れから外れた者は、それを解消するまで延々と時の途中に留まってループし続ける。解消するとそのループ時の要素も合一した上で時が進む(ドニーダーコ、ゲキドル、ルーパーズ等)。
今までわかりようもなかった存在の感覚がいつしか体感できるようになってくる。物語の存在、現実の狂気の存在が時代や作品を超えて個々の内に感ぜられるようになる
自身が拒絶してしまうような強烈な精神的な異物(ストレッサー)が世界の造り手によって生産されており(超越存在による「古代の恐怖」)、それを燃料として、精神に負荷を掛けて思考を促進させ、情報を造らせる。
その人にとっては毒でも、他の人にとっては違う、その人の立場、魂自身による軋轢。その人にならないとそのエネルギーは感じられない。
観測は支配の一端であるので、真の支配を目論む者は逆に観測されることを拒む。
この世界を脅かすもの
制止した世界
この世界に死をつくる
時間を過ごしすぎた、止めてあげる
瑞穂 制止に関わる何か
死なないコピー
からっぽの、壊れやすい「傷」の大塊
戦争を知っている人はいない。本質のない争い
能力、境遇ではなく、その精神に価値を抱き、世界を受け入れる
戦争→(死)→銃
何も生み出さない、傷しか生み出さないもの
のぞみ→(死)→コンパス
偶然に心の奥底の結晶が死とともに生まれる
支配欲?
他人のまなざし(観測)が地獄(精神的負荷)→自分の物質的存在の大きさが裏を返せばそれを生み出している
凹と凸は、特性の違いであって、どちらが優れている、という論は文化的な主観でしかない。
物語の中の人物がその物語自体を書いている、その者は物語の人物の無意識を認識し、物語を動かす。
毒を毒で中和し、無害にした小説
一部の要素を増進
神話レベルの作品
光が自分、それを反射した鏡によって投影された目に見えるものが世界だとした時、鏡ではなく光を記述する小説
一人称でも三人称でもない、全体称(主語の欠如)
死の概念を奪い合う
お互いにとってお互いが必要でありながら背反する存在→そう設定している存在がいる。「無理」という仕組みをルールとしている。
設定を解除し、本人たち自身が世界をつくる
2人で死ぬなら2人以外を消して世界を作り直す
理想、美ではなく、見たことない世界を共に創る
死によって静止を打ち破ろうとした
何も望まない、受け入れ、満足、憎まない
衝動の終わり=命の終わり
衝動の静止世界?
自分が嫌い?
経験が積み重なる→意味が薄くなる、均一化、無感動→穴になる(物化)
能力遺物化→静止に織り込まれた形、意志としての死
意味の無い世界での、その時、その人だけの価値
死んでもなお他者の中に生きる
意識できなくても無意識の静止時間で何かが起きている
どうせ世界は変えられない
知性体がこの世界を、改めて時空を超えた原理で観測し直した瞬間、その世界は新たに観測された仮想現実として切り離されて誕生する。
無意識の表れである「言語」の分解不可能な最小単位の意味の領域
科学、形式主義の中で生きてきて、それのみを重要視した行動に対する罪。無視し、殺してきたものが自分を責め、無意識の罪を罰する
罪と罰は同時に発生するが、その罪の感覚そのものの新たな生成
世界を形式で侵略し、今まで意識の中で何かを消してきたように、自分たちも軽く消される
また次の形態へ変化、成長、進化するために、再び混沌へ飛び込む
被害者的体験、つらい体験をして、同様の人に対して優しくできる力を得たのに、なぜ全ての人には優しくできず、同様に優しくあることを他者に強要しようとするのか。自分だからこその優しさだから意味がある。
地球は自分自身、我(創作物)は地球(愛、自然、純粋な善)が見る夢の1つ。死によって情報(我の夢)が受精され、地球と一体化する
地球が見ている夢は月が見せている
自分の意志で今までの業を卒する。過去も含む全てを肯定し、自然の成り行きやありのままを受け入れると、初めて全ての者の幸せを許す世界になる。
キリストの死
神が、抗えぬ者として滅されて初めてそれを超えた者となる。滅される(死の)要素を自らに取り込む。
男性性の裏返しによる、超越的存在によっての死、それは反転する生(魂)と同義。
瀧と三葉、ベルンとラムダ(梨花と沙都子)、悪魔ほむらとアルティメットまどか
電気と磁気≒時間と空間
二元論が表すものは即ち「変化」
定義の段階において相反している。「矛なるものと盾なるものは相容れない」という定義の世界を根底に設定しながら、その設定の下で矛盾はどうなるか、という思惟をしている。
「それを決めるのは設定するあなたです」となる。
世界を論理で組み直して量子化しているだけ
3次元に存在する人間は2次元の平面の文字を用いるように、高次元に存在する人間は3次元の文字を用いる
論理を立体化、3次元化
「体験」がただあるだけで、世界に「限り」はない。思考がそれをつくっているだけで限りは存在しない。
抽象を追究した破壊ではなく、今そこにあるものの肯定が重要なんだぜ
ヤコブの夢
固定された情報は、固定をつくることで作り出され、無際限の想像となった。
「この世界は実は固定された絵である」という状態が実は二元的世界の根本。固定そのものが「生と死」を同時に含んでいる。
陰と陽の二元だけではなく、三元になって初めて、決まった一方向への循環(グー、チョキ、パーのような)が生まれ、螺旋によっての垂直方向への別のベクトルも生まれる。3つはそれぞれがお互いに陰と陽の関係を持つ。
二元は動いていない、固定されているのを並べて自らの視点を動かしているだけ
自分自身の潜在意識がこの現実世界を創作している。
ルリリンがスロー=すなわちこちらが加速させられ、昼が夜に転換するが如く暗転→読者だったのが物語の中に存在、自分が遅く(ルリリンと交換された?)。
メタ(上位世界)の存在は、下位世界の存在にとっては静止しているも同じ。下位の情報は上から網羅、確定されるのに対し、上からの意思疎通は困難。
現実世界を掌握し、対話できる、小説の中の人物…作者が無意識に求めているものを自分の周りの世界としてつくり上げでいる。
時が過ぎ、創作物(その時の世界)が去って過去と記録、記憶となっても、思い出してまたそれを見ることはできる、失って初めて思い出が呼び起こされる
3次元の世界が説明されている、固定、確定されている文字を、読むことで立体(3次元)の「現在」と時間を自分自身で作り出している。
文を飛ばすことで4次元的な読み方ができるように、別次元の小説も作れるかもしれない。
この世界は全てが三角関数≒波、つまり三元的に世界の全ては観測されていることで存在している、観測する者がいる=世界=存在
個々が地球の意思を得て行動すること。
数多の個々の世界の終末の上に我々の世界は存在する
過去に殺したものに未来で対峙すること。
固定された性質を持つ人間だから「それが欠ける」ということも同時に存在し、苦しむ
空想次元の存在は、空想を通して自らを生み出してもらった上での憑依or、シミュレーションを操作するように干渉orシミュレーション内にオブジェクトを生成という方法で干渉できる。その正体は未来に作られた仮想世界にて完全に情報体、アバターと化した人類であり、その世界からまた別のシミュレーションに干渉するような形で現在の世界にも干渉できる。
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説教、炎上では、炎上対象の考えを知ろうという対話は求めていない
怒っている人の感情と、主観的な不快感に対して申し訳ない態度を取って欲しいだけ
全く問題のないことでも、〜かもしれないとか言って責任感等の話と結び付けられ、反省の色を見せさせようとする
(事実上全く問題は起きていない)
→学習させ、事情に応じた要請をするべきであるだけ
被害者の怒りが治まらないから死刑にする、酷い殺し方をするなどということが許されて良いのか
仕事に目覚め、本当の自分を取り戻した感じ
完全に垢抜けた
すごく良い意味で大人になった
大人は全員こうあるべきだと心から思った
すごい輝いている
この世界で最もおかしいこと。すべての人が自然体で存在することができず、生きるには何かの型にはまって苦痛を強いられる労働を必要とすること。否、そのような風潮で社会が形成されていること。
自分がやりたいこと(職業)がずっとないのは、やりたいことが自分の中で明確だったからなのである。自分のやりたいこととは、抽象的なイメージを探求すること。それには社会的な意味はなく、一般受けもしないので職業にはできず、また、人に見てもらうものは人に見てもらうことを意識して作るので本来の意味が表現できなくなってしまう。
つまり、自分のやりたいことは、誰かの需要が先行する職業ではない。
だから職業はそれとは別の生きるための手段だと割り切れれば良いのだが、手段であってもその職業に対して割かなければならない時間と労力と精神力と気力があまりにも大きすぎて、それをやった場合、本来やりたかったはずのことさえも、考えたくても考えられなくなってしまい、自分にとっての生きる意味、自分にとって大切なことさえ失われる。それを危惧している。
引きこもりの息子は母親の家畜でありおしゃぶり
国民みな怠惰、ほぼ仕事せず金が貰える議員のような生き方は理想、国民も文句は言うが何もせず、後は野となれ山となれ
騎士団長殺し、一人称単数、神様になった日、シンエヴァ、猫狩り族の長、
飛鳥昭雄「現実がフィクションを追い越した」
フィクション(幻想)の消滅、リアルとの接続
リアルの人格の考えや精神を共有、理解し合う世の中になっていく
理想としてのフィクションと、それを持つ作者の理不尽な現実との折り合いを、フィクションと現実との折り合いをつけて接続、一つの現実にする
現実の折り合いをフィクション側でつける(現実の自分を変える、または受け入れる)か、フィクションを変えて現実に則した理想像をつくるか
無意識と無意識の、雲を掴むような調和、コミュニケーション
自分が助けたい、でも見ていない存在はなにか。
自分の中の、見て見ぬふりをしている、救われたい概念を世界の誰かに還元、接続するとどうなるか
救いたい存在…何かを教える場で、何らかの形式を強いられ、自然でいられず、その形式を善とするような空気に晒される者
シミュレーション能力を
向上させて
現実化させよ
この世界が
なんであろうと
全て創ることも可能
仮想空間は
感謝や感嘆や感動の中に
あります。
肉体に見えるものは
全て見えない世界ともリンクが
濃厚になるだろうね〜。
円環を描いて自分へと還っていく
虚構が現実になる=現実が虚構になる
現実/虚構→虚構/現実
だから虚構を描いてきた人たちは現実を描き始めた??
それらの人は入り込むものを作ってきた、それらの人は現実にも入り込んでいた。自分は現実に入り込まず創作物のように捉えていた
抽象的概念に基づいて現実が作られるようになる
精神の空間的存在=「自然」
コロナでネットが社会化、現実が侵食
フィクションが侵食してきているのではなく、現実が虚構化してきている説
現実の虚構化の上には
孤独と、自分の業、無意識の表れ、その共有
時間なんて存在しない、長期間の不確定の感覚、一週間も数百年も変わらない。
変化は変化の内に入らない
そうやって時を超えて数百年過ごしてきたから、1ヶ月の寿命でもセミは必ず鳴くのだろう。
fps、ゲームの視点にどれだけ移入するか
アニメの作画、無意識の美ではなく機械美
ネット小説の様式→キャラ、シチュにどれだけ入り込むかという楽しみ方
アイドル 宗教 思考停止で憑依し入り込む
仕事もそう、誰かが作った創作物の中で働いている
自分が虚構を見ているのではなく、自分以外のみんなが虚構を見ているという怖さ
自然ではなく、人工的なもののはずなのに、いとも簡単にその創作物に入り込んでしまう
作者が見えない、もはや作者は存在しないのです、おそらくキャラクターや世界が勝手に動くいていくように創作している。
適応しにくいゲーム、知らない世界に適応していくのが一生
世界は私を説得できなかった、というのも自然の摂理
私の無意識によって世界が崩壊しても、そこに世界がなかったわけではない。
私と世界との自然の成り行き
「その人のためになりたい」は、その人の本質とは関係ない自分のエゴ。その人の欲求は表面的に歪んだものかもしれない。その人の本質的な「自然」に対して、そのためになると思ったもののみに対して手を差し伸べるべき。
客観的対象に自分が入り込む→幽体離脱
○○さんは未来に眠る→人類は環境のための糧となる
三大欲求から放れろ
母
こうあるべき、という理想像のために嫌なことがあっても行動する、いやなことが多いとしても、本質的にはやりたいからやっている→行動している時点で少しの心はあるから、形式的な少しの心の感謝でも少しは嬉しい
心がこもっていなくても、その人が喜んでもらえることをやる、ということ
[行動の種類]
・恐怖などによって脅迫的に行動させられている、やりたくてやっているわけではない→感謝は嬉しくない
・無意識的な欲動のようなものによって、本当に心からやりたくてやっている行動→感謝はうれしい
ハイデガーのメタ存在論をメタフィクションとした時、ヌーソロジーはパラフィクション
虐められていた人は、自分の中で納得している、絶対に破れない壁がある。その壁を自分であえてつくり、それは絶対に破れないながら、その中でそれに対抗する意思を見せることに美学を見出す
系統によって生きる意味が全く違うのに、同じベクトルで頑張ったり、価値を共有できるわけがない。ツクヨミは居らんのか、ツクヨミは
どうでもよくなりましたね
人生の雰囲気にガチっとハマっていたのが学生時代、
そこから外れ神的視点で世界を見るようになった
世界の中を思い出させてくれるのがロック
ロックは消えてしまいそうな雰囲気がある。その一瞬を楽しむ価値のような。
ただそこに「ある」状態
あるからあるのだ、という無から何かが作られる、創造される考え方、究極に「今」だけがある考え方
過去…スサノオ、現在…ツクヨミ、未来…アマテラス
大豆田最終回、東京物語
何のために生きるのか、常に考えながら、自分だからこそ作れる誰にも作れない価値を
自然からは独立(何かを殺すか、何かを犠牲にしている)しているけどそれがなければ存在できない「仕組み」至上主義…アマテラス
「何か」の一部であることを維持すること至上主義。それが歪んでいても、自分が属するもの以外のものには嫌悪感を抱く…スサノオ
そこにある「自分」、無意識至上主義…ツクヨミ
スサノオは、誰かが作ったものや、元々そこにあったものに入り込む。言わば過去に入り込んでいる。技術師
アマテラスは創作物を「作る」側。情報を与える神
ツクヨミ(創造)は現在を見ていて、スサノオ(維持)は過去を見ていて、アマテラス(破壊)は未来を見ている
夢自体に罪はなく、ある意味ツクヨミの具現化かもしれない。ただ無意識的にそこにあるものの中から、世界に応じて不意に現れるもの。しかし、スサノオの視点では、今の自分、世界を壊し、その夢に自らや世界を寄せていこうとするアマテラスの意志に嫌悪感を持つ。
虚言癖の人が増えている→無意識のウイルス感染者 remember11
嘘が降ってきて意識に沈着する
嘘に惹かれるメカニズム
何かによって死がもたらされる。その「対象としての死」に対する恐怖に苛まれながら死ぬ醜さにたいする恐怖
感想や解釈はその人の中だけのもので間違いなどないのだから自由であるべき。実害をもたらす場合は対処すべきだが個人のことなので大抵は実害など存在しない。影響力など関係ない、「個人が個人的に考えていること」であることに変わりはない
言葉を発した者の裏にある意識と、言葉を聞いた者の切り取りの裏にあるものが全く違い、どちらも個人的または限定的
差別や攻撃を扇動しかねないと考える考え方が問題。正しく物事を見られれば差別など起こらない。正しいとする考えで上から塗り潰して間違いとするものを潰すだけの教育ではなく、物事を正しく見て、真意や間違いを見極める能力を育むことが必要。
予言は外れた未来が確定した瞬間に嘘になるのであって、語られた段階では嘘とは違いますよね。「未来について語っている」ことに詐欺を適用するのはおかしい気がします(創作の可能性が高いことも踏まえての意見です)。
似たようなことを感じた例で、ある人物の事実、言動などに基づいてスピリチュアル的な解釈を書いている人がいて、それに対して当人が「事実に反する嘘だ」と怒っていたのですが、その人の中だけの「解釈」に対して、嘘だ、と言うのもおかしいのではないかと感じたことを思い出しました。
「気分」での個人の判断さえ妨げられる世の中であるべきではない。
馴れ合いを延々と続けようとする、それを生きる目的と同等とする者
何かのコンテンツを他者から勧められたり、他者と論ずるのが嫌い。元々それを通じて自分を見ていたものが、他者を見せつけられているような気分に変わる。
逆…個人として大きく共感したものを共有すると、自分の一部が見られているような感覚になる。
今大切にしている思考、人間関係、時間、自分自身がいつまでも続きますように。
名前 御名(みな)
目に見える形式だけを見るとお金もうけであることも、目に見えない領域の影響では全く別の価値を持つ。社会の中で存在させるのにはお金の仕組みの中に置かなければならない。
神に愛されているのは「可哀想な奴」だからだ、そのような奴も神は愛し、その純度が高い?
他人の目を気にすること、人を叩くことは、
叩かれうる対象が先立って、それをどう感じるか、どう判断するかという、対象に対する議論。その対象というのは、特定の立場を基に見た客観的な情報にすぎない。
自分が感じることのできる他者の心を感じ、優しくできる人に優しくすること。また、どう見られるかという「形式」ではなく、他者の心そのものを感じ、肯定的に対話すること
多くの人は自分が思い描いた環境を目の前につくることに幸せを感じ、それ(環境)を奪われた時に不幸を感じるが、どんな状況でも自分と自分の大切な人自身はそれぞれ変わらないのだからそれに向き合うことが大切。環境がどんなに変わろうがそれは本質的な価値ではない。
社会的価値によって人間が誰々よりマシ、なんて絶対にない。命には等しく“無限の”価値がある。
でも、歪みながら成り行く自然が善、正義
「答えがない」の意味を履き違えてはいけない。人によって答えが違って、そのどれもが善であるという意味であって、自分にとっての答えが存在しないのだと思考放棄する理由にはならない。
人を、能力などの「属性」ではなく、人として心を見るべき。
何兆回繰り返しても変わらないものはあるし、それは強い意志などという問題ではない。その時は自分自身ではない力によって自分自身を超えることが「奇跡」なのであり、自分自身のみの意志には限界がある。奇跡を必要とするループでは、何兆回と繰り返しても変わらないその人自身は紛れもない善である。
世界には元々日本しか存在しなかった、日本が世界だった
元々月はなく、世界(大陸)は日本で、巨人の人々は創造者の領域にも到達(南極大陸)→世界の拡大(人類の縮小)で分断される。今の小さな日本列島と月が新たに作られ、創造者は新たに月というシステムから人間を管理する。
地球(世界)自体がもっと広かったのが縮小した?地球には外がある?
神が怒るとまた小さい日本列島ができて人間が縮小する?
人々に、何かを気づかせる作品
「声も出せない時がやってくる」
誰の記憶にも残らない、声を届かせることもできない、他者は全員自分とは相容れない世界で生きる。忘れ去られた存在が思い出される救いの物語
生きることは世界との適合度。成したいことがある人は世界と自分が適合しきっていない。それを実現すると世界は自分に、自分は世界の一部となり、やるべきこと、やりたいことは終わる。
世界との適合度が低い人ほど大きく世界を変えようとしており、変わるのには時間がかかる、現時点では世界は変えられない、だから何もせず、世界を全て認識し、世界の新たな一端を求めつつ世界の隅々まで認識を光らせ続けるのみに留まる。
世界自身であるからこそ世界との適合度が最も低い。世界の終末に存在する。
→マザーテレサの「最も貧しい者?
世界の目が自分、世界は自分、世界の目が動き始めた時は本当に世界が終わりそうな時
(アルビノ、ウサギ、世界そのもの)は何にも染まってないという意味で純粋な世界であり神
誰もやったことがないことをやり、その土台をつくる、頭一つ抜け出し、並ぶ者なし
海賊のロジャー、配信者の4皇のような
舌切り雀の昔話的オチの作品
A○Eがあるかどうかも打って始めてわかることだ、感謝」というコメント、命が失われる治験を是とする様は、
特攻してくれて感謝、勝つか負けるかは特攻して初めてわかる」という論理を正義とするような匂いを感ずる
社会がその死に見向きもしなかろうが、俺は一人の命を助ける
どちらが上、どちらが下ということは、個人で分けたときに生まれる。分解すれば上や下といった違いができるのは当たり前
攻撃されたら終わりだから武装すべき論争について
そのような世界だっただけのことなのだ、今まで死なずに生きてきたではないか
(タイトル無し) 顔面に泥を塗れ
見たくないこと、無意識に無視してしまっているものは絶対にある
人を助けたり、応援したりといったこと
他人に優しくなること=自分を助けること
死というのは観測不可能な時点で「生」と同義
主観的な死(肉体を伴わない、内面の完全転換)が起きても本人は認識できない。肉体を伴うものもそれと同じ
機会を奪うというのに対して。時間というのは取捨選択、現時点で今の状態と別の存在になっていない、選択しない選択がある場合にそれは機会の略奪なのか?違う場合、死もそれと同じなのではないか?死という「選択」だとしたら。そして自分自身は「世界」そのものの意思であるとしたら。
死すことで得られる、世界の機会がある。
個人に対してだけの、「死」ごと確定された物語。個人の死の後は、本人は認識できぬまま記憶が全て消え、別の世界の別の存在となる。新たになる存在の決定に何かが関係している可能性はある。世界そのものの仕組みを変える必要がある可能性もある。
私でもあなたでもある、それを包括した一つの意識
想像することさえできなくなった記憶にどう到達するのか
滅ぼすことによる解決は解決ではない、「隔絶せし世界」の代弁であるだけ。
歴史(情報の物量)による認識難
3次元の文字を使った高次元の意識による小説
文章の背後の潜在的作用で進む物語、多義的
「相容れない」というDNA、文字の仕組みをつくることで、新たなベクトル(螺旋)、時間を生み出した。さらなるベクトル
立体の表れとしての平面の小説
絵みたいなものが立体になる仕組み
確定されない物語
文字が時間と性質、潜在的な物語性を内包する
別の論理の世界同士が織り成す物語、abc予想、古事記と言霊
全く違う論理(宇宙)の中で行われる足し算を複数照らし合わせる
同じ文字(性質)でも、環境が変われば挙動も変わる、個人単位の宇宙
宇宙を変えた際の挙動の実験
互いの妄想が一つの小宇宙へまで見事にこね合わされて、見事な自転運動を開始する(陰、と陽という原理が宇宙を織り成したように)
名前…験(ゲン、アカシ)
明(ハル)
別の宇宙の自分がこの世界の他者
忘却され改変された世界
死んだら存在しなくなる、それは存在していないとも言えるし、存在しているともいえる、元々あった自分、世界が全て存在しなくなり、全く別のものが存在する、という次元で「存在している」と言える。
魂が共通していることがわかるようであれば「全く別の存在」ではない。そのレベルで「全く別の存在」となる。そして、全く別の存在であるのだからもはやなんでもいいわけだ、生まれ変わったら、例えば法則になっているかもしれない、情熱に、重力に、電流に、雰囲気に、想像力に、アイデアになって、そのレベルで「全く別の」存在となっているかもしれない
みな等しく死んで→全く別の存在として生まれて、というふうに存在していて、そのようにすべての存在同士は全く別の存在であるということは、あらゆる存在はすべての存在の前世であるともいえる。
普段我々は全く関係ない別の存在を連想することがある、そのような繋がりで存在が決定するのかもしれない
我々の意識は、この世界を動かし、運営し、存在の転換先を決めるコンピュータ?
嫉妬はなんの象徴か
別の存在にはなれないという性質をもつ二元的世界において、別の状態になりたいという衝動、別の状態になろうと最終的に二元的世界そのもの(哲学的ゾンビ)となる
欲望、その場の感情、衝動、二元的破壊、攻撃欲求
それに支配されると、二元的世界の体現としてのゾンビとなり、ゾンビ世界の一部となる。
循環を生み出すのが三つ巴?
グーチョキパー、369→巡り、螺旋運動
長い信仰を持つ(自分自身に対して≒ハイヤーセルフに対して)
本に恋する
2つの選択肢から1つを選んだら、片方から逃げたと言うことはできる。なんにでも言えることで、あらゆる選択肢から自分の生き方で生きていることは、他の生き方から逃げている、と捉えるのはおかしい。生きることは死ぬことから逃げているのか?ということ。
恋愛は二元世界の象徴だ
一夫多妻、動物
恋愛の陰謀
犬は人工愛玩生物
死んだ後も意思は世界に影響を与える
社会はこのままでもみんながこのような心を持てば今よりはより良くなるかもね
二元的生き方をしていなくても、そのような世界なので自分だけの中で二元的発散をしてしまう、仕組みを変えなければ耐えるしかない
人生一度きりだから、いや、死んで別の存在になってもやろうとしていること、成ろうとしている状態、
二元を生み出している源の存在の無意識のレベルから世界を変えようとしている
幸せを求めるような思考も二元的思想の洗脳、それによって苦しむ人たちも出てくる
今まで感じてきた謎のストレスは二元世界という仕組みによるものだった
この世の理は三つ巴(循環)だから、入れ子構造(二元性)のこの世界も循環している。
「人権」という概念を生み出さなくてはならなかったその状態が問題
創造、維持、破壊の369が、グーチョキパーのようになって循環が生まれる。
陰と陽の二元だけではなく、3つの概念があることで初めて、決まった一方向への循環が生まれ、螺旋による垂直方向への別のベクトルも発生する。3つはそれぞれが陰と陽の関係を持つ。
二元は動いていない、固定されているのを並べて自らの視点を動かしているだけ
二元的確定物語は、頭で順序づけて始めから順々に一方向的に読んでいく、新次元は読み手の方向に関わらない形で進む、多方向性?
世界は実は固定されておらず、流動的なものを掴むゲーム説
その流動の法則を表現しているのが三次元文字
3元は世界ではなくこちら(自分)側?
○アニが本当だとすると、誰か特定の人を○すために事件が起こされている可能性
心が温まる体験ツイート
「これが良いことだ」とするような、全体への影響力がある
「行為」をもってして善、という風潮が生まれる。その行為をした心が大切なのに。
人それぞれやり方があって違うのに、その人のやり方を誰かが心ないままただ「よいこと」をするためだけに行われるのは違う。
それに感銘を受ける場合、共感→自分自身に刺さる→それは良いなあと思うということだが、同じ状況において「それを良いこと」としてしまい、他を否定する印象となる。それが起こらなくてもわるいことではない。
感謝はそのしてくれた人にするべきなのに、「いいことがあった」「言いたい」というのは個人のエゴ
「その人個人」のためにしてくれたことなのに共有するのはおかしい、その人個人の体験だったものが、聞いた人それぞれの印象に変わる。本来の心は伝わらない。
そのような、否定を含有するものにいいねするはさんは、根底に怒りがある。なぜ優しくできないのか、という怒り。それの形がそういう形になってしまっているだけ
読み終わりたくない。確定されていないものは面白いもの。自分の中で確定された瞬間に面白くないものになる。
頭の中に脳によって二元世界がつくられている。三元的に進化させなければ。
現在は、意識と仮想世界の二元。
低い人はバランスを保つために高い存在に触れられる?
意識しない言動がかわいいのに言ってしまって意識させてしまうと変わってしまう
「自分を取り戻す時間」が必要。「忘れてしまった自分」がきっといる
「生」の状態のものが突然死ぬ時は「苦しい、気持ち悪い、怖い」感覚が起こる?
自分の存在の意味がないのにも関わらず無理やり存在させた時?
世界に対して「意味」を生産する生き方をしなければタイムリミットで消される?
仮説
自分の生のために消費された他者の命ぶんの苦しみが、それが自分の中にある状態での死の際はしわ寄せとしてやってくる。
他者から貰った命はまた誰かに渡して消費しないと、見えない「浪費の命」が蓄積していき、死の際に苦しみとしてやってくる。
お金を介したやり取りでは「交換」になってしまう。だから「無償の奉仕」が大切になってくる
誰かで抜く、誰かが作ったもので抜くのも同じ。誰かが作ったものを食べるのも同じ。与える者は与えられるものへ命のやり取りを行っている。
支配者層が有象無象を庶民に与えるのはその仕組みのため。
仮説
奉仕、命のやり取りに見えるものでも、愛を持たぬ行動では消費されない?
心の闇を消さないことには愛は持てない
恐怖支配は愛なのか?
条件は愛ではなく支配?
愛ではなく支配されている執着もある。
公開されたテレサの文章からは、晩年の彼女が孤独感と戦っていたことが明らかに読み取れる。それは修練者であった若き日のテレサが抱いていた強い思いとは対照的なものであった。手紙のなかで、彼女は何十年にもわたって神から切り離されている感覚を持っていたこと、神の愛の宣教師会を創始するために励むことができた若い頃の情熱を失っていることを訴えている。
我々は使い捨ての神の駒でしかないのか?
誰かの支配に入った?
そうだとしたら本当に遊び場ではなくて修行の場なのか
自分の世界において他者を殺してしまったが故に死んだのだとしたら。
御役御免とされて亡くなった?
誰かに、何かに生かされている状態だとそうなり得る?
人格否定をされたり、生きる意味としていたものが消えたり、必要とされなくなったり?
幽霊、怨念となりえそうに感じる死に方
「愛を感じる」力が大事?
自分の誇りに対して他者から愛を感じられていないと思い込んで亡くなること?
親前提ではなく、生活も含め、収入源など自分の塔を立てるの自立について考える
名前に対して個性が後からやってくる?
球の内側で遠心力が常に掛かっているのが重力、遠心力から抜け出した中空が宇宙?
梶への違和感、自分のスキルの自己満足
、こうあるべきだ、という考え。人を属性としか見れない奴。人の心そのものの純粋さを受け入れない。正義の押し付け。わざわざ知ってもらう必要があるのかという違和感。
スキルによる配慮というのは社会概念における正義と何も変わらない。その人を見ているのではなく属性を見ている、属性に配慮できている自分に対しての自己満足
人を人として見ず、社会的配慮の対象としてしか見ない教師のような奴に参入して欲しくない。人として関わりたい奴だけが関われ。
医者と教師は人を人として扱わないものの象徴
社会的な「善」を暗に他者に強要するのは違うと思っている
それが流布したとしても対象者が物理的に過ごしやすいだけ、それは善とはまた違う。
単純な物理的配慮のみを念頭に置いた人が配慮の行動などできるのかという疑問、したとしても表面的で、社会的に「こうするべきだ」という以上の意味はない。
しかし、自己満足が発端の行動が、他者の本当の善い行動のきっかけになることもある
手段が第一になってしまっている、違うだろう、手段は、関わりたいと思う人が自分で調べるものだろう
対象なき正義は、その人の中だけの自己満足妄想と何も変わらない。
人それぞれ感覚は違うからこそ、人の中に「他者への(配慮の)正義」的な概念などつくるべきではない。
〜すべき、というその人の中だけのイメージによる行動
親が子どもを「何かをしてあげる対象」として見ているうちは人として扱っていない
周りに危害を与えてしまうなら、その点に対してだけ、物として扱った方がいい。自然に発生してしまう周りとの齟齬、軋轢のみを防止する。人を物として扱ってしまう、物のような症状だから。
世界の仕組み自体によってその人の性質の根本に生まれた歪み
性質が与えてしまう危害を理由にその人自体を嫌いになることはない。
その人の性質のルールに物として寄り添わないとコミュニケーションはできない人もいる
全ての人は、物理的に生活できるために物として扱う最低限のサポートは必要だが、通常は常にその人を人として関わるべき
また、どうしても本能的に関わることができないことは存在する
本能的な危害があっても嫌わない
何かを奪われた者が攻撃的になるのは大半が同じ
決してわかり合えないと思われるものでも、敵意なく、寄り添ってわかろうということが大事。その後、危害などがあったとしてもそれによって相手のことがわかる
自分自身にも無意識の壁がある
物質的に支配するべきではない(染め上げるのは物的に扱われ、確定されることだと思っている。人を操作する快感)、とか、しかし、染め上げて助ける事もある
力を持った人の能力、属性だけを見て物として使い潰そうとする人への抵抗
力は、物質的に助けたい、と思った時の力にはなる。しかしそれが本当に大切なものだろうか。
物質世界は影で、心の表れなのだから、まず心を変えるべきではないか?まず習慣から変えるというのは魔術的で、思考停止状態で法則をプログラミングしているのと変わらない。プログラミングをする意図を認識し、判断すべき。必要なものは人によって全く違う。
悪いことをしている自覚があり、その自分がした分の悪いことを自分が受けることで罪を確定させるために罰、痛みを引き受ける、受け入れる
企画、作成し、誰かが作った世界と一体化し、楽しむことが喜ばれる。逆に自分も世界を作成し、他者をそれに一体化させることが求められる
人をシステムの通りに動かし、人格の一部の殺す必要がある。それは罪を犯すこととなる。
「地球にとっては人類はいなくなった方がいい」などと、そんな人間的な考えを自然や超存在がするはずがない。何かが不必要だ、処理しようという思考自体がひどく人間的で二元的で妄想破滅的
戦時の徴兵と○○チ○せっしゅの共通点。どちらも必ず死ぬと思って行くわけではない、どちらも「国のため」か「社会のため」かの違いだけ、それが当たり前という風潮によって多くの人が亡くなる(かもしれない)。しかし、運の良い人や生き残るべくする人は生き残る。目には見えないが今は戦争中?
人を好きになるとその人から心を貰える
好きな対象を創る、見出す