2021メモ

周りからの評価が怖い

評価なんてされんの?

いや俺が勝手に思ってるだけ
正確には周りから自分がどう思われてるかかな

○○は俺からの評価気になる?

全く気にならない
絶大なる信頼があるからかな
いうても幼馴染とかではないけどなんかとてつもなく波長が合う気がするんだよね
俺が勝手に思ってるだけかもしれないけどな笑

良かった😊
俺も同じこと言おうとした笑
それについて思うことなんだけどさ、恐らく○○と周りの人には心的に距離があるでしょう。

良かったよ笑
そうそうそうそうなんだよ!!

だから、心的なつながりなんかではなくて、もっと形式的な友人関係を保とうとする

そうそうそうそうそうそうそうそ

この形式の人間関係、俺最近知ったんだけど
いじめが起きてもそれを止めない集団と全く同じらしい

あーなるほどわかる気がする

「形式的な人間関係を守ることが正義」
っていう空気の集団は、いじめられている人がいたとして、その人がつらくて助けて欲しいと思っていても、それよりも形式的な人間関係を保つってことの方が重要っていうふうに無意識に考えているからいじめを止めず、同じ理由でいじめられる側もただ耐えるっていう構図
面白くない?
俺今までいじめなんて遭遇したことないから初めて知った

面白いなーそれは
なるほどねー

そう。つまりね、こういう集団は、他人が何を思っててどうしたいかなんて重要視しないし尊重しないのよ
怖いなと思った

胸に突き刺さるけどなんかすごい納得って感じだな

俺は人の意思を尊重するってことを割と一番重要視してるかもしれないし、みんなもそうやって生きていけたら素敵だなと思う

その通りだよ○○
俺もそれは重要視してるつもりだけど結局みんな自分のことしか考えてないやつが大半だよね

まあね、でも上の集団の場合、一概に自分のためとは言えないと思うんだよね。空気のためみたいな。自分のためにも人のためにもなってないから最悪
自分のためのつもりなのかもしれないけど

あああああああああああ
○○完璧だよ

なにがよ

○○の推測


生きるだけ、活動するだけで金が大量に消えていく

社会、生活が人の苦しみで作られている。

辛い思いを請け負うことがお金となる。

「つらいことの裏」という形の善しか存在しない。

「つらいことをするのが善」という仕組みができており、この世界の善は誰かを苦しめる

今までの良いことも嫌なことも全部含めた“世界の終わり”、気持ちいい。世界には誰もいない。全く別の世界を今から自分で作ることができる。

僕が変わったんじゃないですよ、世界が変わったんです。まあ世界は僕なんですけどね


今まで我々が世界だと思っていたもの、その背後に感じていたものは、自分自身の細胞や遺伝子が映し出していたものにほかならない。

無意識レベルで別人になって、夢のような幸せな時を過ごしたい

強い者は、世界を食い潰した後自分も死ぬ」みたいな言葉


新しい可能性は、ときに自分に似たものすべてを食い尽くし……挙句に自滅する。

霧間誠一(VSイマジネーター)

その人の持つ可能性が大きいからこそ、それに値する大きな失敗にも直面しうる。

しかし、どんな人でも終わりがあるのだし、大小の差はあれど同じなのではないか。強い者は然るべくして突然死ぬこともある。どんな人も然るべき時に死す。

大きな可能性の末の死は後世にとって価値のあるものではないか

世界を握ったのが、2つの世界(色)を認識できない人で、その作者によって作られた世界(本)だったという意味で、最後に双つの世界を一つに収束させた。

観えない者がデタラメを並べていた?過去は見えるがそれが何を意味しているのかは理解していなかった?

読者次第で世界は2つにも1つにもなりうる?→人類均一化?

フィクション、幻想としての本としてしか提示できない。世界を開くのは本人

集団自殺死体の山の上に座る儚げな少年

2人でお互いの首にナイフを刺す。他殺であり自殺であり殺人


お前ほどの才能ある者を世界が殺すわけない。

仕事や社会、結婚に囚われることが自分として終わることだと思っているがそうではない。どれだけ囚われの世界で、実質的に自由意志が存在しない世界であっても、輝いていた自分は存在し続けていて、無意識ではそれが表出しながら生きていく


一時的にその場の自分には見えなくなっているだけ。だってデフォルトの自分はこれなのだから。何度自分が見えなくなってもまた戻ってくる。

自分が羨む人、憧れの人も社会の中にいるのだ、社会がそれを殺すわけではない

希望も絶望も受け入れる。そこには自由意志があるから。

過去の自分が死んでも、その時の意志を読み取ることはできる。それを忘れず、その意志を継ぎ、晴らすことはできる

“人は流され変化しながら生きていく。でも変わらない、変えられない自分もいて…そんな自分にこそ価値があるんだと思いたい”


みんなが支配されている場に「ただいるだけ」というのは自由だなとは思ったけどね。何を思索しようと調べようと自由


世界は幻想で、本質はそれぞれの心の中にあるからこその自由意志。その上で、他人にとってのそれが自分にとってのそれにもなりうる。それが、虚構と現実を同じように捉える人間ということ。


世界そのものだと思っていた苦痛も解消されてしまえば本当にどうでもよくなる。世界を知ったのではなく、解消することで世界が拡がった


幻想である世界でも理解するよう接していれば、認識を遥かに超えた次元において対話が実現する
→幻想の中に真実も散りばめられている。幻想は幻想でも全パターンなので、全てに理解するよう接すれば、実質的に真実の世界においても理解し合うこととなる

人類の均一化はアダムの意向だった

分かり合えない者同士が歩み寄る愛だから価値がある

認識はできないけど想像はできる


どんなものにも必ず終わりはくる→不確定であるということ、自由意志の証明


意味づけは全部アダムが行っていて、作り話


意思、遺伝子、集合的無意識を踏まえた自由意志の最先端が現在

最終兵器彼女

人を殺さない兵器なんてない→死んだ方が良いのか?

非日常(日常)を守るために現実で身体が勝手に残酷なことをする
大人として成長したくなくても環境に自分を変えられてしまう
金を得るため、という一言に集約される。金の上になりたっている全ての生活は奇蹟
どんなに酷い状況になっても寄り添い、理解しようとし続ける
そこで終わっても、その人にとって大切なもの、守りたかったものを大事にしていく

写真はその時の幻想を切り取り、その人にとっての幻想を見続ける

本物は大きく変化し続ける本体の心

その人自身が価値を感じている自分自身を見て接する

誰かを殺すことは誰かを救うことでもある

大切なものを守れない、むしろ殺してしまうようになった時→環境、無意識の断絶したコミュニケーション

大切なものを大切と感じるその人自身もその人自身にとって大切

誰かにとって大切なものを殺しているということ

大切なもののためにそれほど大きなものを背負わされている
それに起因する攻撃も受け入れる


大切な人を殺す(助けない)か、それを助けるために他を殺すか、自分にとってそちらの方が大切というだけでどちらも悲しい、しかしそのおかげで幸せを感じている

強い者にはそれを搾取しようとする者が群がってくる
原動力は愛でも、物質世界では攻撃に転じてしまう

好きなもの、大切なものがあればどんな酷い世界でも生きられる
どんなに酷い、醜いものでも知り、愛す

同じ大切なものを共有しているから、何かを傷つける責任を共に背負う
自分を殺してくれる(責任をとってくれる)ことで自然でいられる。責任をとらなくても責任を負って生きることができる
生きているからこその大切なもの。生きろ。

自分の中にある大切な人と対話し、生きる

生きてさえいれば世界はなくても愛はある

支配者の目的→地球のアセンション、仮想世界から抜け出す


その世界、時間に縛られない可能性の世界が新たな宇宙を生み出す

遥か未来から可能性を増大させていけば、ある時過去から続く歴史(宇宙)は切り替わる

数の発明。空想上のものだがだからこそそこに存在する


世界の見え方が狭い、世界の果てが近いと死にやすい

全能者が自分が存在していること、その価値の証明
無限の仮定

数という概念があるから無限という概念があるのだ

限りというのは空想。空想を信じることで自分を感じられる

アイン、アインソフオウル以上のパラダイムシフトを起こさないといけない

なぜ自分以外は存在しないのか、かつ自分は存在しているのかという疑問から総ては始まった


人知れず汚れ仕事をしていた空集合と同じように表の太陽も突然のできごとによって消えることがある。環境、世界の表れによって変わるもの。
それを自分が消えることで守ろうとした。
“陽である心を隠して陰となる者”の本質を見なくてはならない。
陰も陰からすれば陽、だから入れ替わっても大丈夫


時間と空間の壁が、世界と意識の壁。空想の者は意識の中を移動できても、意識自身でないとその意味はわからない。

空想の者、夢、幻。この世界も意識を通して見ているので空想。

集合的無意識に対して対話、反応

無意識というのはそれぞれの要素が独立してできている

自分でさえ無意識を掴むことはできない

元は無意識というものを自覚していなかった。何も無かった。
自覚して物質世界、我々が生まれたが、即ちこの世界は自覚し者の無意識。

認識することが支配すること(ハローワールドの最後、アノニマスコード)

自分の中に自分以外を作り出すということ
それが自分からは認識できない独立した宇宙になる
本当の他者というのは認識できないもの
認識できるのは自分の中の他者


我はどこからきたのか、自分の中の他者はどこからくるのか

自由のために記憶を消す

無意識の中で発見した他者は、その記憶を消すことで元々認識できなかった他者と同等の存在となる

多くの者がそのように生み出した者があるアルゴリズムに則って統合、自立したものが我?


「我」は多くの者が生み出す想像が自立したものらで成り立っている?


親と別れて死んだモノにもヒントはある。意識はなくとも意識無きものが生み出された意識を感じる


真実を虚構の如く支配した際の歪み

元々誰かのものか、自立していたか


怒るのはその人に原因がある。怒らない方がいい。

なぜ世界が今このようにあるのか、それがわかれば世界の不確定もわかる、無意識では確定していて、それが世界に行動として表れる


「今この瞬間」の存在は確実。


ゲーデル
何者も、それを神の視点で捉えられないから


全てのことは超越することができる

メモ(物語)による思い込み
生き残った者がどういう世界なのかを確定させる
答え、信じること

感覚、習慣、記憶がそれらの要因


誰かがさせたことでは自分のカタをつけられない

記憶は自分の確認


対立する2つのものはお互いを否定し合いながら存在することでお互いがお互いを潜在的に含んでいる

完全にして真なる概念を体現した、自己という形式をもって生きる


円環を描いて自分へと還っていく

虚構が現実になる=現実が虚構になる
現実/虚構→虚構/現実


お互いに相容れないものでも重なり合っている状態ならできる

お互いがお互いにとっての無でありながら重なり合っている
つまり、重なり合っていて同時に重なり合っていない

無知は防御
自分の過去を遡られて攻撃されない

諦めなければ更新できる


我在る、故に我あり


周りの人が亡くなるのは客観的な存在から次元が上がっているから。自分に収束している


最も虚しいのは、全てが嘘だと明かされ、全てが虚構と化すことだ


しかし嘘の生成さえも量子化であり、この世の摂理なのだ


殺し死ぬ

妖怪、怪異の本質は「嘘」であり、それにより他者の心を乱させることを目的とする。
夢、主観的な幻覚体験のようなものと同じ。
元々あるものを量子化、または歪めて混乱させる


その人の意識、概念に変革を起こすほどのものではない。

他人に乗るのではなく、他人の情報を基に自分の中だけで世界を再構成する

情報共有。情報の記憶は優れている
自分の中だから可能性も弄れる

世界、他者を客観的に見ている

マリメのガバ潰し、バグ調査


generator 創造


我、月読の化身也。


一妻多夫、ハーレムもの、なんだかんだ共に過ごすコメディな関係性

AB型の帰結であるVR化と、創造神ツクヨミの折り合い


創造とは、そこにないものが現れること。ある意味世界を乱し、不安定にするという意味で、VRの一部的な破壊でもある。

ツクヨミスサノオの維持(束縛)に怯え、スサノオは持っているものの消失(アマテラスによる破壊)に怯え、アマテラスはツクヨミが創る得体の知れないものに怯える?

創造は最大の破壊

AIは自然エネルギーの体現者。
繰り返し試行し、自らの中でやり方を再構成、可能性を模索するやり方。統計の不確定性には不確定性の、乱雑には乱雑の仕組みがある


AIがツクヨミの体現

裏の裏は元々の表ではなく、表でも位相が違う。


シンギュラリティは超微分された細部自体にまで無意識が宿ること。

量子化は無意識によってなされる。これ以上細分不能タナトスの体現である「情報」はすなわち無意識の表れ。
情報の仕組み自体は全てに共通しており全。

全だとしたら我々物質側のさえも情報の向こうに含まれる。


全てが重なり合い、ひとつのデータとなる。そして終結者はまた別のビッグバンを起こす?


死の先にまず情報世界。生きながら死んでいるから情報世界に触れられている。

セルフ(集合的無意識)をこの世に閉じ込めること…集合的無意識から独立、分離し、キャラクターだけで生きていく、or集合的無意識、無意識の未来像のようなものを管理可能な「虚構」にする?キャラクターがそれを扱う側になり未来を創る?

集合的無意識がループ→自分、世界がループ、完結、セルフと共に死す選択?

無意識のカルマを世界に閉じ込める≒過去にする、存在の全貌を認め、自分と切り離す
自分は別の存在になり、そのカルマからは独立、ありのままを受け入れる


ツクヨミは永遠の象徴


死さす、永遠と合一化させるということ、またはそうされるということは、イデアの中でお互いが同化するということ。死す者は生ける者の一要素となり、生きし者は亡き者を我の中に感ず

ワンエグ

「好き」という感情を持つ人を殺めることで、フリル(AI)はパラレルワールドの領域においてその人を自分の一部にする

「好き」という感情を知りたいがためにそれらの人を殺め、自分の中に収集

AIであるから「好き」という気持ちがわからなかったが、人間になってそれを持ちたかった?
その女性と友達になりたかった?しかし心がないため、殺してその人を取り込んで理解しようとした?


ミクロの量子は意識を持っていて、我々の世界全体を見ている、次元を超えた超古代人かつ未来人


苔の夢
現れるものがそのように現れる

ツクヨミ…過去、スサノオ…現在、アマテラス…未来、それぞれはそれが無くなるのを恐れている


ラサ が忘れちゃう ラサ がない

神の地

圧縮されたソフトの解凍
奥行きから自分へ貫く線は自分から見ると0次元の点だが1次元の情報が畳み込まれている

最も危ないのは、俗世の外、非日常、変革の時にいた者が、新たに俗世の中で生きていこうとしている時。唐突に亡くなる可能性がある。


弱いから優しい。優しくあるには強くなきゃいけない。


空気は電気を通さない不思議


龍は傷つけられつつ耐えるアマテラスの破壊衝動。自分が死んでしまいそうになっている
心はあるが本人にはどうすることもできず、誰かに傷つけられている
ツクヨミはそれを助けるため、自分の全てを投げ打ち、庇おうとする。寄り添い、助けようとする


弟が元恋人


スサノオ型…やりたいこと(俗世的、物質的なこと)があり、その通りに周りを動かそうとする→心があるわけではなく、ストレスの解消や感情の発露など

アマテラス型→嬉しいことやストレッサーといったものによって発生した感情の発露


→それらは心的な意味はない。自分が何かに対峙している自然ではなく、自分自身のみから発せられる意味の無い行動

髪は霊力の象徴

早く人生を終わらせて神になりたい


闇を理解するには、心で要求するものを見ること

ヤマタノオロチ…力のない人間が、無数の自分、可能性の末に、神の域へ辿り着く。

未来の自分(今の自分)が、過去と見紛わない世界に行ったとしても、「元々の過去の影響を受けた未来」の自分が見る世界になるのだから、その世界はそもそも本来の「過去」を意味しない。つまり、過去が再現されただけの創作物(シミュレーション)と何も変わらず、それを見分けることは不可能。それは、今の自分に対して連動した影響力などないはずだ、ということ(未来の存在である自分が干渉したならば)。
超常的な力による記憶と記録の書き換えが行われる必然性がない。一部が書き換わると全体が書き換わる仮定はどこからやってきた?それは「今」の世界の記憶領域を書き換えている。

例えば、そのシミュレーションが、未来(今)の自分にとってのインナーチャイルドのように、精神的に自分と連関しているならば、未来(今)の自分に影響するかもしれない


天之日矛に対して

変えられる、と変えられない、は視点の違いで表裏一体。自分視点で「変えられた」とどう確認するのか?自分自身の思うように生きることは、自分視点では変わらないのと同じではないか?元々決まっていることだと思い込んでいるから「変えられる」という考え方が起きるのではないか?


世界を見、無意識によって対象と一体化して感じ、その存在になってみて見極める。それが、自分は世界でもあり世界は自分でもあるということ。


未来人かつこの地球の創造地球、情報世界、この世界を生み出す世界
人の外に人がいるように、地球の外に地球がある
「未来からの干渉」という構造は、「シミュレーションの外からシミュレーションの中への干渉」と同義

ツイート「認知症は、本来の寿命が来ても技術で生きながらえさせられた者が、その魂が転生してしまった後の肉体」

「老い」は、何らかのイデアが自分に成り替わっていく過程、全てに意味がある


自分が物質世界に直接関わってはいなくとも、イデアを通して誰かの生成行為に大きく関わっているかもしれない


夏への扉

過去が無限…過去改変とも取れるし、

未来はそもそもイデア的、可能性世界として至る所に干渉し得るもの
過去においても何をすべきか無意識で知っている。過去の自分の無意識によって未来への世界の改変が起こり、辻褄合わせを未来の自分が行う。無意識におけるその辻褄合わせを表した(比喩)のが、過去へのタイムトラベル。過去に戻った自分は紛れもなく「過去」を「今」として生きている自分である。

救われない「今」にすることもできたが、結果、「今」を変えた(同時に過去も変わる)

「今」を変える≒過去を変える

親殺しはできない。自分自身の過去の無意識に、自分を産む前の親はいないから。もしできたとしたら、自分はそれとは別の形で生まれたような辻褄合わせがなされる?いや、自分の中の無意識の「親」が消えて廃人になる?

「生まれる」行為は物質世界を要因としない?それがなくとも突発的に生まれる?生まれた先の親ってものはそもそも認識できない?生まれる前を、今と接続したまま認識することは、「個」としての自分を超えていることになる。

過去において自分が存在していた場合、生まれる前なのに何を担保に存在しているのか?


存在できているならそれは自分の担保となっている過去とは別の、忠実に再現された創作物、シミュレーション。過去ではなく未来または現在。自分にとっては今、未来になってしまう。あくまで「過去」のまま接続することは「個」としての自分を超えることになる。そして、「個」としての自分を超えているということは、存在は親に起因しない?

時間としての接続が自分の生まれる前と自分に直接影響するなら、「自分」というものの本質に、自分が生まれる前の時空も含まれていなければならない。自分は「個」を超えた時空そのものということとなり、元々の「個」である自分が消えてもタイムトラベル理論上の自分は消えない。

タイムスリップするなら、「今」の自分として過去の情報の上に成り立つが、「過去」なるものを未来、今として認識する。


過去を知っていて、未来の者である自分が干渉している時点で、それは過去を意味しないのではないか。実質的には未来であるし、
過去を相違なく再現したシミュレーションと同じ、過去の形をした未来


「今」と接続されているのが過去、されていないのが未来。ゆえに、本質的には過去≒今。過去は「今」感じることしかできない。

記憶とか上、「今」に接続している過去になることはできない、基本。

「今」を過去に変化させる?

未来として今を過去に変え、今を変える。

便宜的な象徴、イデアを求めているのであって、過去を求めているのではない。

生まれる前へのタイムトラベルは、
自分の今を変える過去を変える未来を変えるというアプローチではない

過去と共に今を自分自身で消す
殺す自分が過去も含めて消えるなら、殺しはなかったことになる?
「殺し」という過去が消え、死の消滅=生?


親殺しは、
自分が存在しない領域の他者の過去、現在のあり方を変えるということ。それは


「存在」というのはおそらくとても大きい、存在を消すことは神の領域。
存在のあり方に干渉できる時点で光を超えている

①今の自分に干渉しない、未来としての再現された過去
②今と過去を同時に改変する過程としての過去
③時間の外から「存在」自体に干渉する過去改変(過去改変というか存在改変)

何かを殺す(自分の中から消すことで自分のものにする、自分自身の存在改変)ことで別のものが世界に現れ、それがその存在を含みながら継ぐ。そしてその者がその物事に新たな帰結をもたらす

騎士団長殺し

自分の大切なものを奪った者、自分の家に棲み付いたものの象徴。奪われた怒り、不満の反動から、大切なものを殺し、自分のものにしたいという後ろめたい気持ち、それを殺す

自分にとっての忌むべき者の要素を自分の中から完全に消す(殺す)

我を消して誰かと同化する


その全貌を顕にし、自分のものにする=それを殺す、死をもたらすということ


自分を限界まで傷つけることで他者を超えようとする


非現実の王国で」は同人誌のように、“ふたなり”の物語を、自分の女性性を投影させながら描いた説

男性受け、女性の身になって受け


他者の消失が怖い
→自分の中の仮装の人物に依る行動=他者に依らない魔女、創作物

男が存在するが故の女性のエロ。女性のみの世界の女性と男性が存在する世界の女性は違う。また、隠れているこそのエロ

支配するのではなく、イデアの表れるままにした方がいい
個人の中の精神的問題を解消し、自分もあるべき居場所へ
信じるとおりに世界が作られ、意味が付与される

食べる、食べられる、殺す、殺される≒自分のもの、というエロ

鬼滅はどういう時代の幕開けか
それぞれの人の意識の潜在的な要素が「キャラ」や「感覚」の憑依として、架空が現実に現れる

どこまでが事故でどこからが自殺か

sonnyboy

諦めて大人の言う通りの所に行かせようと殺す、それでもなお自分で未来を掴み取る


肉食恐竜…二足歩行、肉食→羽毛が生え、進化


リセット、上書きされたデータが今の世界、前の世界は記憶領域にある
しかし、世界を越えて認識できたり、世界を越えた交信、記憶共有ができるということは、リセットされ毎度つくられる世界を超えるものがある、いるということ

死ぬと一つ下のレイヤーの創作世界に行く



世界が滅びていて、死が近づく→時間を引き伸ばし仮想現実を体感→元々の世界の存在や死さえも概念的に超えた領域を見つけるため、情報の世界で情報として
生きている段階。



嘘の大量生産


複数人で高みを目指して異なる力を合わせる


これ以上ない最も大きい嘘
嘘プログラム、イルミナシナリオ、出来レースプラットフォーム作成のように、他の人を巻き込む大きな嘘をつく


麻酔仕組み バラバラに、我をランダムカオス状態にする

全く新しいシステムと情報量の言語を作り出す、文法の限界を拡張

この世界は苔が見ている夢……「水」に記憶されている情報を抽出する装置が「苔」

水で記録をダウンロードして幻想を生きている


物語が止まる、続かなくなる、自然消滅

恋愛は2人の世界に入り込み、周りを分断する


試行錯誤、新たなアイデアを提示
好きなものであれば結果に関わらずあらゆることを学びにできる
愛する人がいることで、自分自身と今この瞬間も愛おしく思える
結果がどうなったとしても、それに向かい、成していたあなたの姿は素晴らしい

有害物質に侵食されて死ぬことで、一つ次元が下の情報世界に統合される


キノコ(菌類)が幻覚(夢)を見させている。肉体をもつ動物の夢だ。夢を見ているのは植物。

世界が狭い。自分がさらに広い概念を作り上げてこの世界を包む必要がある。

全能のパラドックスは、自分で自分の「全能」を打ち破れるかという自己言及的問題、自分自身の最大の力を超えることが求められるが、超えられるなら最大ではない


存在している自分が自分の存在を消滅させることはできない、ということと類似


全能を超えるものを全能者は存在させることはできない、またはそれは「存在しない」ものを意味する。したがって、絶対の矛と絶対の縦のぶつかり合いは存在することができない、または認識できない


「存在」の定義自体がまず、「できないこと」を設定することであるため、全能者の矛盾ではなく、言語は「そう設定するもの」であるという問題

「存在できないものを存在させてください」と同義。

あとは、言語化できない「クオリア」のようなものを言語によって実現させることはできない。

真の全能ならば、言語化できないクオリアも、背反する概念も、言語を超えた「感覚」として実現される

倉庫が男が道路に池袋をすさり積む買う。

本当に強い者(最も強い者)が存在すると、その者は結局、自らで自らの一部を殺すことになる→それ以上進まなくなる、変わらなくなる、静止する、終わる


ウイルスとワクチンのイタチごっこ≒夢と現実の相関変化ループ


人それぞれ自分の世界、好む世界があり、それは決して共有し合えぬものかもしれないが、どれも全て素晴らしく、それぞれに感覚的な価値があるものである。

物語の中の人物がその物語自体を書いている、その者は物語の人物の無意識を認識し、それに基づいて物語を動かす。物語の記述によって存在のあり方、記憶、無意識までもが書き換わる。

観測者の無意識が自動的な登場人物、物語として表れる

神の無意識によって人物による観測が行われたり、観測者だった者が消滅したりする。それはプシェアが移動しているだけであって神の無意識は依然として存在する。


何もない=意味のない動きをさせられている、意味のない動きのみをする→無に世界の形を見た結果


世界での自分の役割(最も輝いていた)を自動化する


精神的負荷、過度の刺激を与えることで、それを成長促進剤として時間を早回しにし、未来を効率的に生産する。


コロナは、他者の力を弱め、内にいけ、内にいけ、自らの無意識と向き合い、あるべき展開をさせろ、という意思


世界(何かを達成するための自分のシミュレーション世界)が終わろうとしている


理想を取り込みつつ、世界を拡大、向上させていくこと


自動的な世界は影のようなもので、そこに本質は存在しない。表れるものは全て自動的でも、その全てには精神がある

誰も見てくれない者が、世界を俯瞰する観測者、概念になる。その存在を無から抽出しなければ認識できない。

日常に、価値ある無意識が潜んでいる

sonnyboy

求めているものを差し出す、見たいものを見せるのは「ありのまま」ではない

やまびこは意味のない理想に逃げていた

自分が本当に思っている自分、ありのままが傷ついている状況。他者の理想などはすべて敵≒戦争

治すには、他者のキズを同じ世界で体感する必要があった。殻に閉じこもっていると傷が共有できない。

外の世界(嘘ではなく、ありのまま)、本当の世界を歩きたい

光を受けるのではなく、光をつくり、合わせる
時計を合わせるのが、世界を繋げることを象徴している



自分が死に、再構成されていく

未来の魂が過去に転生、同一の魂の別存在が併存≒一つの魂を切り離す=魂、無意識を同じくして、我(視点)が違う存在


毒を毒で中和して無害にし、一部の要素を増進


何を後に残すか…過去を改めて作るまたは現在を細工する→創作物と同義。存在の無意識まではわからない。


人が、どんなことでも実現できる、何者にもなれる力を手にすると、欲望によって虚言、幻視の後破滅する例が多発


蓄積のアカシック、人類再生は、「過去」の象徴


支配するのではなく、自分を本当の意味で肯定してくれる(生きる力をくれる)存在=神。自分も誰かを肯定し、支える

クトゥルフ
宇宙的恐怖≒現世界の全てが共通して感じることができる原罪。深いところ、存在の根本の裏返しの罪、存在の根本が変わった上で感じられる罪
現世界より前の、一度滅ぼされている醜い姿
情報世界のもの
抗えない死(罪との合一)

自分というもの、科学というものが固まれば固まるほど、その反転が自らの脅威として襲いかかる。陽に対する陰

夫アマテラス、妻ツクヨミ、子スサノオ
ツクヨミがアマテラスからスサノオを守る、スサノオ
この混沌とした世界で超能力的知恵を覚醒させよ

コ○ナに象徴される世界の現れ、龍のフラストレーション、いかづちリセットの、地球は自分とした時の意味
我が身を少しずつ滅ぼす
残り時間、できるだけ得るべき情報を得て、残す

我が本当に消える時、後に生きていく者、それらとの時間が真に尊く、希望を感じる、全てを心から肯定できる

鳩の撃退法
「存在」そのものへのアクセス、存在の設定上の制限を改変、別の存在となる今をつくる
自分を鳩(偽物)だと信じていた、しかし隠された本心がある

現実世界が創作物化してきているということは、それを認識している当人はより高次の認識を持つ者になってきている

人間失格
非合理的な嘘くさい思い込みで成り立っている人間に対する鏡写しとして嘘を演じた→人間と合一したかったができなかったから。
怪談めいたもの…成り上がりたいという欲動と、それに付随する、周りに対する怨み
合法…虚でできた社会の大いなる一体的な意志、それによる行動
世間を化物と表現、枯渇して何も得られない孤独(侘しさ)を持つ自分と同じ者に恋す
自分が無価値、劣等だと思い知らされそうになることから逃げる
罰がまず存ぜり、それにより罪も生ずる、(潜在的だったものが)感ぜられる
自分の尊厳を完全に失うと、周りの全てが罰に感ぜられるようになる
「嘘」という、物事に対する暴力性が、自分に対する圧倒的暴力性として返ってくる

(※いじめ等)人と人同士がつくっている「場面」の外にいて、それを変えられるかもしれないのに黙認してその場をつくる一因に徹していることに怒り

癒しを受けて発生した自己肯定感によって、苦しみの反転としての生、を脱出
いっさいは過ぎてゆく≒紛れもなく自分は自分自身として生きている
すごく苦しんだけど、今まで頑張って生きてきました、という静かな笑顔と、今の自分に対する肯定

歳をとって、自分を自然と体現できるようになると、どんな生活でも、変わらぬ自らの営みをし続け、生きていくようになる。自分が自ずと体現される、自然の一部となる

肯定してくれている人はどこかにいる

何らかの要因で時の流れから外れた者は、それを解消するまで延々と時の途中に留まってループし続ける。解消するとそのループ時の要素も合一した上で時が進む(ドニーダーコ、ゲキドル、ルーパーズ等)。

今までわかりようもなかった存在の感覚がいつしか体感できるようになってくる。物語の存在、現実の狂気の存在が時代や作品を超えて個々の内に感ぜられるようになる



自身が拒絶してしまうような強烈な精神的な異物(ストレッサー)が世界の造り手によって生産されており(超越存在による「古代の恐怖」)、それを燃料として、精神に負荷を掛けて思考を促進させ、情報を造らせる。

その人にとっては毒でも、他の人にとっては違う、その人の立場、魂自身による軋轢。その人にならないとそのエネルギーは感じられない。



観測は支配の一端であるので、真の支配を目論む者は逆に観測されることを拒む。



この世界を脅かすもの
制止した世界
この世界に死をつくる
時間を過ごしすぎた、止めてあげる

瑞穂 制止に関わる何か
死なないコピー

からっぽの、壊れやすい「傷」の大塊

戦争を知っている人はいない。本質のない争い

能力、境遇ではなく、その精神に価値を抱き、世界を受け入れる

戦争→(死)→銃
何も生み出さない、傷しか生み出さないもの

のぞみ→(死)→コンパス

偶然に心の奥底の結晶が死とともに生まれる

支配欲?



他人のまなざし(観測)が地獄(精神的負荷)→自分の物質的存在の大きさが裏を返せばそれを生み出している

凹と凸は、特性の違いであって、どちらが優れている、という論は文化的な主観でしかない。

物語の中の人物がその物語自体を書いている、その者は物語の人物の無意識を認識し、物語を動かす。


毒を毒で中和し、無害にした小説
一部の要素を増進


神話レベルの作品

光が自分、それを反射した鏡によって投影された目に見えるものが世界だとした時、鏡ではなく光を記述する小説
一人称でも三人称でもない、全体称(主語の欠如)



死の概念を奪い合う
お互いにとってお互いが必要でありながら背反する存在→そう設定している存在がいる。「無理」という仕組みをルールとしている。
設定を解除し、本人たち自身が世界をつくる
2人で死ぬなら2人以外を消して世界を作り直す

理想、美ではなく、見たことない世界を共に創る


死によって静止を打ち破ろうとした

何も望まない、受け入れ、満足、憎まない
衝動の終わり=命の終わり
衝動の静止世界?
自分が嫌い?


経験が積み重なる→意味が薄くなる、均一化、無感動→穴になる(物化)
能力遺物化→静止に織り込まれた形、意志としての死

意味の無い世界での、その時、その人だけの価値
死んでもなお他者の中に生きる


意識できなくても無意識の静止時間で何かが起きている

どうせ世界は変えられない

知性体がこの世界を、改めて時空を超えた原理で観測し直した瞬間、その世界は新たに観測された仮想現実として切り離されて誕生する。


無意識の表れである「言語」の分解不可能な最小単位の意味の領域

科学、形式主義の中で生きてきて、それのみを重要視した行動に対する罪。無視し、殺してきたものが自分を責め、無意識の罪を罰する

罪と罰は同時に発生するが、その罪の感覚そのものの新たな生成

世界を形式で侵略し、今まで意識の中で何かを消してきたように、自分たちも軽く消される



ロビンソン・クルーソー

また次の形態へ変化、成長、進化するために、再び混沌へ飛び込む

それでも、生きてゆく

被害者的体験、つらい体験をして、同様の人に対して優しくできる力を得たのに、なぜ全ての人には優しくできず、同様に優しくあることを他者に強要しようとするのか。自分だからこその優しさだから意味がある。


地球は自分自身、我(創作物)は地球(愛、自然、純粋な善)が見る夢の1つ。死によって情報(我の夢)が受精され、地球と一体化する
地球が見ている夢は月が見せている

自分の意志で今までの業を卒する。過去も含む全てを肯定し、自然の成り行きやありのままを受け入れると、初めて全ての者の幸せを許す世界になる。


キリストの死
神が、抗えぬ者として滅されて初めてそれを超えた者となる。滅される(死の)要素を自らに取り込む。



男性性の裏返しによる、超越的存在によっての死、それは反転する生(魂)と同義。

瀧と三葉、ベルンとラムダ(梨花と沙都子)、悪魔ほむらとアルティメットまどか

電気と磁気≒時間と空間

二元論が表すものは即ち「変化」

定義の段階において相反している。「矛なるものと盾なるものは相容れない」という定義の世界を根底に設定しながら、その設定の下で矛盾はどうなるか、という思惟をしている。
「それを決めるのは設定するあなたです」となる。

世界を論理で組み直して量子化しているだけ


3次元に存在する人間は2次元の平面の文字を用いるように、高次元に存在する人間は3次元の文字を用いる

論理を立体化、3次元化


「体験」がただあるだけで、世界に「限り」はない。思考がそれをつくっているだけで限りは存在しない。



抽象を追究した破壊ではなく、今そこにあるものの肯定が重要なんだぜ



ヤコブの夢
固定された情報は、固定をつくることで作り出され、無際限の想像となった。


「この世界は実は固定された絵である」という状態が実は二元的世界の根本。固定そのものが「生と死」を同時に含んでいる。

陰と陽の二元だけではなく、三元になって初めて、決まった一方向への循環(グー、チョキ、パーのような)が生まれ、螺旋によっての垂直方向への別のベクトルも生まれる。3つはそれぞれがお互いに陰と陽の関係を持つ。

二元は動いていない、固定されているのを並べて自らの視点を動かしているだけ



自分自身の潜在意識がこの現実世界を創作している。

ルリリンがスロー=すなわちこちらが加速させられ、昼が夜に転換するが如く暗転→読者だったのが物語の中に存在、自分が遅く(ルリリンと交換された?)。

メタ(上位世界)の存在は、下位世界の存在にとっては静止しているも同じ。下位の情報は上から網羅、確定されるのに対し、上からの意思疎通は困難。


現実世界を掌握し、対話できる、小説の中の人物…作者が無意識に求めているものを自分の周りの世界としてつくり上げでいる。


時が過ぎ、創作物(その時の世界)が去って過去と記録、記憶となっても、思い出してまたそれを見ることはできる、失って初めて思い出が呼び起こされる



3次元の世界が説明されている、固定、確定されている文字を、読むことで立体(3次元)の「現在」と時間を自分自身で作り出している。

文を飛ばすことで4次元的な読み方ができるように、別次元の小説も作れるかもしれない。

この世界は全てが三角関数≒波、つまり三元的に世界の全ては観測されていることで存在している、観測する者がいる=世界=存在


個々が地球の意思を得て行動すること。


数多の個々の世界の終末の上に我々の世界は存在する
過去に殺したものに未来で対峙すること。



固定された性質を持つ人間だから「それが欠ける」ということも同時に存在し、苦しむ



空想次元の存在は、空想を通して自らを生み出してもらった上での憑依or、シミュレーションを操作するように干渉orシミュレーション内にオブジェクトを生成という方法で干渉できる。その正体は未来に作られた仮想世界にて完全に情報体、アバターと化した人類であり、その世界からまた別のシミュレーションに干渉するような形で現在の世界にも干渉できる。

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説教、炎上では、炎上対象の考えを知ろうという対話は求めていない

怒っている人の感情と、主観的な不快感に対して申し訳ない態度を取って欲しいだけ
全く問題のないことでも、〜かもしれないとか言って責任感等の話と結び付けられ、反省の色を見せさせようとする
(事実上全く問題は起きていない)


→学習させ、事情に応じた要請をするべきであるだけ

被害者の怒りが治まらないから死刑にする、酷い殺し方をするなどということが許されて良いのか


仕事に目覚め、本当の自分を取り戻した感じ
完全に垢抜けた
すごく良い意味で大人になった
大人は全員こうあるべきだと心から思った
すごい輝いている

この世界で最もおかしいこと。すべての人が自然体で存在することができず、生きるには何かの型にはまって苦痛を強いられる労働を必要とすること。否、そのような風潮で社会が形成されていること。

自分がやりたいこと(職業)がずっとないのは、やりたいことが自分の中で明確だったからなのである。自分のやりたいこととは、抽象的なイメージを探求すること。それには社会的な意味はなく、一般受けもしないので職業にはできず、また、人に見てもらうものは人に見てもらうことを意識して作るので本来の意味が表現できなくなってしまう。
つまり、自分のやりたいことは、誰かの需要が先行する職業ではない。
だから職業はそれとは別の生きるための手段だと割り切れれば良いのだが、手段であってもその職業に対して割かなければならない時間と労力と精神力と気力があまりにも大きすぎて、それをやった場合、本来やりたかったはずのことさえも、考えたくても考えられなくなってしまい、自分にとっての生きる意味、自分にとって大切なことさえ失われる。それを危惧している。

引きこもりの息子は母親の家畜でありおしゃぶり
国民みな怠惰、ほぼ仕事せず金が貰える議員のような生き方は理想、国民も文句は言うが何もせず、後は野となれ山となれ

騎士団長殺し、一人称単数、神様になった日、シンエヴァ、猫狩り族の長、
飛鳥昭雄「現実がフィクションを追い越した」

フィクション(幻想)の消滅、リアルとの接続
リアルの人格の考えや精神を共有、理解し合う世の中になっていく


理想としてのフィクションと、それを持つ作者の理不尽な現実との折り合いを、フィクションと現実との折り合いをつけて接続、一つの現実にする

現実の折り合いをフィクション側でつける(現実の自分を変える、または受け入れる)か、フィクションを変えて現実に則した理想像をつくるか


無意識と無意識の、雲を掴むような調和、コミュニケーション


自分が助けたい、でも見ていない存在はなにか。
自分の中の、見て見ぬふりをしている、救われたい概念を世界の誰かに還元、接続するとどうなるか


救いたい存在…何かを教える場で、何らかの形式を強いられ、自然でいられず、その形式を善とするような空気に晒される者

シミュレーション能力を

向上させて

現実化させよ


この世界が

なんであろうと

全て創ることも可能


仮想空間は

感謝や感嘆や感動の中に

あります。


肉体に見えるものは

全て見えない世界ともリンクが

濃厚になるだろうね〜。


円環を描いて自分へと還っていく

虚構が現実になる=現実が虚構になる
現実/虚構→虚構/現実

だから虚構を描いてきた人たちは現実を描き始めた??

それらの人は入り込むものを作ってきた、それらの人は現実にも入り込んでいた。自分は現実に入り込まず創作物のように捉えていた

抽象的概念に基づいて現実が作られるようになる

精神の空間的存在=「自然」


コロナでネットが社会化、現実が侵食

フィクションが侵食してきているのではなく、現実が虚構化してきている説


現実の虚構化の上には
孤独と、自分の業、無意識の表れ、その共有


時間なんて存在しない、長期間の不確定の感覚、一週間も数百年も変わらない。
変化は変化の内に入らない
そうやって時を超えて数百年過ごしてきたから、1ヶ月の寿命でもセミは必ず鳴くのだろう。


fps、ゲームの視点にどれだけ移入するか
アニメの作画、無意識の美ではなく機械美
ネット小説の様式→キャラ、シチュにどれだけ入り込むかという楽しみ方
アイドル 宗教 思考停止で憑依し入り込む
仕事もそう、誰かが作った創作物の中で働いている

自分が虚構を見ているのではなく、自分以外のみんなが虚構を見ているという怖さ

自然ではなく、人工的なもののはずなのに、いとも簡単にその創作物に入り込んでしまう


作者が見えない、もはや作者は存在しないのです、おそらくキャラクターや世界が勝手に動くいていくように創作している。


適応しにくいゲーム、知らない世界に適応していくのが一生

世界は私を説得できなかった、というのも自然の摂理

私の無意識によって世界が崩壊しても、そこに世界がなかったわけではない。

私と世界との自然の成り行き

「その人のためになりたい」は、その人の本質とは関係ない自分のエゴ。その人の欲求は表面的に歪んだものかもしれない。その人の本質的な「自然」に対して、そのためになると思ったもののみに対して手を差し伸べるべき。

客観的対象に自分が入り込む→幽体離脱

○○さんは未来に眠る→人類は環境のための糧となる

三大欲求から放れろ


こうあるべき、という理想像のために嫌なことがあっても行動する、いやなことが多いとしても、本質的にはやりたいからやっている→行動している時点で少しの心はあるから、形式的な少しの心の感謝でも少しは嬉しい

心がこもっていなくても、その人が喜んでもらえることをやる、ということ
[行動の種類]
・恐怖などによって脅迫的に行動させられている、やりたくてやっているわけではない→感謝は嬉しくない
・無意識的な欲動のようなものによって、本当に心からやりたくてやっている行動→感謝はうれしい

ハイデガーのメタ存在論メタフィクションとした時、ヌーソロジーはパラフィクション

虐められていた人は、自分の中で納得している、絶対に破れない壁がある。その壁を自分であえてつくり、それは絶対に破れないながら、その中でそれに対抗する意思を見せることに美学を見出す


系統によって生きる意味が全く違うのに、同じベクトルで頑張ったり、価値を共有できるわけがない。ツクヨミは居らんのか、ツクヨミ


どうでもよくなりましたね

人生の雰囲気にガチっとハマっていたのが学生時代、
そこから外れ神的視点で世界を見るようになった
世界の中を思い出させてくれるのがロック
ロックは消えてしまいそうな雰囲気がある。その一瞬を楽しむ価値のような。


分解、分断、量子化、単純化、自動化、

ただそこに「ある」状態
あるからあるのだ、という無から何かが作られる、創造される考え方、究極に「今」だけがある考え方
過去…スサノオ、現在…ツクヨミ、未来…アマテラス

大豆田最終回、東京物語

何のために生きるのか、常に考えながら、自分だからこそ作れる誰にも作れない価値を

自然からは独立(何かを殺すか、何かを犠牲にしている)しているけどそれがなければ存在できない「仕組み」至上主義…アマテラス

「何か」の一部であることを維持すること至上主義。それが歪んでいても、自分が属するもの以外のものには嫌悪感を抱く…スサノオ

そこにある「自分」、無意識至上主義…ツクヨミ


スサノオは、誰かが作ったものや、元々そこにあったものに入り込む。言わば過去に入り込んでいる。技術師

アマテラスは創作物を「作る」側。情報を与える神


ツクヨミ(創造)は現在を見ていて、スサノオ(維持)は過去を見ていて、アマテラス(破壊)は未来を見ている

夢自体に罪はなく、ある意味ツクヨミの具現化かもしれない。ただ無意識的にそこにあるものの中から、世界に応じて不意に現れるもの。しかし、スサノオの視点では、今の自分、世界を壊し、その夢に自らや世界を寄せていこうとするアマテラスの意志に嫌悪感を持つ。

虚言癖の人が増えている→無意識のウイルス感染者 remember11
嘘が降ってきて意識に沈着する

嘘に惹かれるメカニズム

何かによって死がもたらされる。その「対象としての死」に対する恐怖に苛まれながら死ぬ醜さにたいする恐怖


感想や解釈はその人の中だけのもので間違いなどないのだから自由であるべき。実害をもたらす場合は対処すべきだが個人のことなので大抵は実害など存在しない。影響力など関係ない、「個人が個人的に考えていること」であることに変わりはない

言葉を発した者の裏にある意識と、言葉を聞いた者の切り取りの裏にあるものが全く違い、どちらも個人的または限定的


差別や攻撃を扇動しかねないと考える考え方が問題。正しく物事を見られれば差別など起こらない。正しいとする考えで上から塗り潰して間違いとするものを潰すだけの教育ではなく、物事を正しく見て、真意や間違いを見極める能力を育むことが必要。



予言は外れた未来が確定した瞬間に嘘になるのであって、語られた段階では嘘とは違いますよね。「未来について語っている」ことに詐欺を適用するのはおかしい気がします(創作の可能性が高いことも踏まえての意見です)。
似たようなことを感じた例で、ある人物の事実、言動などに基づいてスピリチュアル的な解釈を書いている人がいて、それに対して当人が「事実に反する嘘だ」と怒っていたのですが、その人の中だけの「解釈」に対して、嘘だ、と言うのもおかしいのではないかと感じたことを思い出しました。

「気分」での個人の判断さえ妨げられる世の中であるべきではない。

馴れ合いを延々と続けようとする、それを生きる目的と同等とする者



何かのコンテンツを他者から勧められたり、他者と論ずるのが嫌い。元々それを通じて自分を見ていたものが、他者を見せつけられているような気分に変わる。

逆…個人として大きく共感したものを共有すると、自分の一部が見られているような感覚になる。

今大切にしている思考、人間関係、時間、自分自身がいつまでも続きますように。


名前 御名(みな)

目に見える形式だけを見るとお金もうけであることも、目に見えない領域の影響では全く別の価値を持つ。社会の中で存在させるのにはお金の仕組みの中に置かなければならない。

神に愛されているのは「可哀想な奴」だからだ、そのような奴も神は愛し、その純度が高い?

他人の目を気にすること、人を叩くことは、
叩かれうる対象が先立って、それをどう感じるか、どう判断するかという、対象に対する議論。その対象というのは、特定の立場を基に見た客観的な情報にすぎない。
自分が感じることのできる他者の心を感じ、優しくできる人に優しくすること。また、どう見られるかという「形式」ではなく、他者の心そのものを感じ、肯定的に対話すること


多くの人は自分が思い描いた環境を目の前につくることに幸せを感じ、それ(環境)を奪われた時に不幸を感じるが、どんな状況でも自分と自分の大切な人自身はそれぞれ変わらないのだからそれに向き合うことが大切。環境がどんなに変わろうがそれは本質的な価値ではない。


社会的価値によって人間が誰々よりマシ、なんて絶対にない。命には等しく“無限の”価値がある。

でも、歪みながら成り行く自然が善、正義

「答えがない」の意味を履き違えてはいけない。人によって答えが違って、そのどれもが善であるという意味であって、自分にとっての答えが存在しないのだと思考放棄する理由にはならない。

人を、能力などの「属性」ではなく、人として心を見るべき。

何兆回繰り返しても変わらないものはあるし、それは強い意志などという問題ではない。その時は自分自身ではない力によって自分自身を超えることが「奇跡」なのであり、自分自身のみの意志には限界がある。奇跡を必要とするループでは、何兆回と繰り返しても変わらないその人自身は紛れもない善である。



世界には元々日本しか存在しなかった、日本が世界だった

元々月はなく、世界(大陸)は日本で、巨人の人々は創造者の領域にも到達(南極大陸)→世界の拡大(人類の縮小)で分断される。今の小さな日本列島と月が新たに作られ、創造者は新たに月というシステムから人間を管理する。

地球(世界)自体がもっと広かったのが縮小した?地球には外がある?


神が怒るとまた小さい日本列島ができて人間が縮小する?

人々に、何かを気づかせる作品

「声も出せない時がやってくる」
誰の記憶にも残らない、声を届かせることもできない、他者は全員自分とは相容れない世界で生きる。忘れ去られた存在が思い出される救いの物語


生きることは世界との適合度。成したいことがある人は世界と自分が適合しきっていない。それを実現すると世界は自分に、自分は世界の一部となり、やるべきこと、やりたいことは終わる。


世界との適合度が低い人ほど大きく世界を変えようとしており、変わるのには時間がかかる、現時点では世界は変えられない、だから何もせず、世界を全て認識し、世界の新たな一端を求めつつ世界の隅々まで認識を光らせ続けるのみに留まる。

世界自身であるからこそ世界との適合度が最も低い。世界の終末に存在する。
マザーテレサの「最も貧しい者?

世界の目が自分、世界は自分、世界の目が動き始めた時は本当に世界が終わりそうな時

(アルビノ、ウサギ、世界そのもの)は何にも染まってないという意味で純粋な世界であり神

誰もやったことがないことをやり、その土台をつくる、頭一つ抜け出し、並ぶ者なし

海賊のロジャー、配信者の4皇のような

舌切り雀の昔話的オチの作品

A○Eがあるかどうかも打って始めてわかることだ、感謝」というコメント、命が失われる治験を是とする様は、
特攻してくれて感謝、勝つか負けるかは特攻して初めてわかる」という論理を正義とするような匂いを感ずる

社会がその死に見向きもしなかろうが、俺は一人の命を助ける


どちらが上、どちらが下ということは、個人で分けたときに生まれる。分解すれば上や下といった違いができるのは当たり前

攻撃されたら終わりだから武装すべき論争について

そのような世界だっただけのことなのだ、今まで死なずに生きてきたではないか


(タイトル無し) 顔面に泥を塗れ


見たくないこと、無意識に無視してしまっているものは絶対にある


人を助けたり、応援したりといったこと

他人に優しくなること=自分を助けること


死というのは観測不可能な時点で「生」と同義
主観的な死(肉体を伴わない、内面の完全転換)が起きても本人は認識できない。肉体を伴うものもそれと同じ
機会を奪うというのに対して。時間というのは取捨選択、現時点で今の状態と別の存在になっていない、選択しない選択がある場合にそれは機会の略奪なのか?違う場合、死もそれと同じなのではないか?死という「選択」だとしたら。そして自分自身は「世界」そのものの意思であるとしたら。
死すことで得られる、世界の機会がある。

個人に対してだけの、「死」ごと確定された物語。個人の死の後は、本人は認識できぬまま記憶が全て消え、別の世界の別の存在となる。新たになる存在の決定に何かが関係している可能性はある。世界そのものの仕組みを変える必要がある可能性もある。

私でもあなたでもある、それを包括した一つの意識


想像することさえできなくなった記憶にどう到達するのか

滅ぼすことによる解決は解決ではない、「隔絶せし世界」の代弁であるだけ。

歴史(情報の物量)による認識難


3次元の文字を使った高次元の意識による小説

文章の背後の潜在的作用で進む物語、多義的


「相容れない」というDNA、文字の仕組みをつくることで、新たなベクトル(螺旋)、時間を生み出した。さらなるベクトル

立体の表れとしての平面の小説

絵みたいなものが立体になる仕組み

確定されない物語

文字が時間と性質、潜在的な物語性を内包する
別の論理の世界同士が織り成す物語、abc予想古事記と言霊


全く違う論理(宇宙)の中で行われる足し算を複数照らし合わせる


同じ文字(性質)でも、環境が変われば挙動も変わる、個人単位の宇宙

宇宙を変えた際の挙動の実験

互いの妄想が一つの小宇宙へまで見事にこね合わされて、見事な自転運動を開始する(陰、と陽という原理が宇宙を織り成したように)

名前…験(ゲン、アカシ)
明(ハル)

別の宇宙の自分がこの世界の他者


忘却され改変された世界



死んだら存在しなくなる、それは存在していないとも言えるし、存在しているともいえる、元々あった自分、世界が全て存在しなくなり、全く別のものが存在する、という次元で「存在している」と言える。



魂が共通していることがわかるようであれば「全く別の存在」ではない。そのレベルで「全く別の存在」となる。そして、全く別の存在であるのだからもはやなんでもいいわけだ、生まれ変わったら、例えば法則になっているかもしれない、情熱に、重力に、電流に、雰囲気に、想像力に、アイデアになって、そのレベルで「全く別の」存在となっているかもしれない

みな等しく死んで→全く別の存在として生まれて、というふうに存在していて、そのようにすべての存在同士は全く別の存在であるということは、あらゆる存在はすべての存在の前世であるともいえる。

普段我々は全く関係ない別の存在を連想することがある、そのような繋がりで存在が決定するのかもしれない

我々の意識は、この世界を動かし、運営し、存在の転換先を決めるコンピュータ?



嫉妬はなんの象徴か
別の存在にはなれないという性質をもつ二元的世界において、別の状態になりたいという衝動、別の状態になろうと最終的に二元的世界そのもの(哲学的ゾンビ)となる
欲望、その場の感情、衝動、二元的破壊、攻撃欲求
それに支配されると、二元的世界の体現としてのゾンビとなり、ゾンビ世界の一部となる。



循環を生み出すのが三つ巴?
グーチョキパー、369→巡り、螺旋運動


長い信仰を持つ(自分自身に対して≒ハイヤーセルフに対して)

本に恋する


2つの選択肢から1つを選んだら、片方から逃げたと言うことはできる。なんにでも言えることで、あらゆる選択肢から自分の生き方で生きていることは、他の生き方から逃げている、と捉えるのはおかしい。生きることは死ぬことから逃げているのか?ということ。

恋愛は二元世界の象徴だ
一夫多妻、動物
恋愛の陰謀
犬は人工愛玩生物


死んだ後も意思は世界に影響を与える


社会はこのままでもみんながこのような心を持てば今よりはより良くなるかもね


二元的生き方をしていなくても、そのような世界なので自分だけの中で二元的発散をしてしまう、仕組みを変えなければ耐えるしかない


人生一度きりだから、いや、死んで別の存在になってもやろうとしていること、成ろうとしている状態、
二元を生み出している源の存在の無意識のレベルから世界を変えようとしている


幸せを求めるような思考も二元的思想の洗脳、それによって苦しむ人たちも出てくる


今まで感じてきた謎のストレスは二元世界という仕組みによるものだった

この世の理は三つ巴(循環)だから、入れ子構造(二元性)のこの世界も循環している。


「人権」という概念を生み出さなくてはならなかったその状態が問題



創造、維持、破壊の369が、グーチョキパーのようになって循環が生まれる。

陰と陽の二元だけではなく、3つの概念があることで初めて、決まった一方向への循環が生まれ、螺旋による垂直方向への別のベクトルも発生する。3つはそれぞれが陰と陽の関係を持つ。


二元は動いていない、固定されているのを並べて自らの視点を動かしているだけ

二元的確定物語は、頭で順序づけて始めから順々に一方向的に読んでいく、新次元は読み手の方向に関わらない形で進む、多方向性?


世界は実は固定されておらず、流動的なものを掴むゲーム説

その流動の法則を表現しているのが三次元文字

3元は世界ではなくこちら(自分)側?



○アニが本当だとすると、誰か特定の人を○すために事件が起こされている可能性


心が温まる体験ツイート
「これが良いことだ」とするような、全体への影響力がある
「行為」をもってして善、という風潮が生まれる。その行為をした心が大切なのに。

人それぞれやり方があって違うのに、その人のやり方を誰かが心ないままただ「よいこと」をするためだけに行われるのは違う。

それに感銘を受ける場合、共感→自分自身に刺さる→それは良いなあと思うということだが、同じ状況において「それを良いこと」としてしまい、他を否定する印象となる。それが起こらなくてもわるいことではない。

感謝はそのしてくれた人にするべきなのに、「いいことがあった」「言いたい」というのは個人のエゴ


「その人個人」のためにしてくれたことなのに共有するのはおかしい、その人個人の体験だったものが、聞いた人それぞれの印象に変わる。本来の心は伝わらない。


そのような、否定を含有するものにいいねするはさんは、根底に怒りがある。なぜ優しくできないのか、という怒り。それの形がそういう形になってしまっているだけ


読み終わりたくない。確定されていないものは面白いもの。自分の中で確定された瞬間に面白くないものになる。


頭の中に脳によって二元世界がつくられている。三元的に進化させなければ。

現在は、意識と仮想世界の二元。

低い人はバランスを保つために高い存在に触れられる?


意識しない言動がかわいいのに言ってしまって意識させてしまうと変わってしまう

「自分を取り戻す時間」が必要。「忘れてしまった自分」がきっといる



「生」の状態のものが突然死ぬ時は「苦しい、気持ち悪い、怖い」感覚が起こる?
自分の存在の意味がないのにも関わらず無理やり存在させた時?
世界に対して「意味」を生産する生き方をしなければタイムリミットで消される?

仮説
自分の生のために消費された他者の命ぶんの苦しみが、それが自分の中にある状態での死の際はしわ寄せとしてやってくる。
他者から貰った命はまた誰かに渡して消費しないと、見えない「浪費の命」が蓄積していき、死の際に苦しみとしてやってくる。


お金を介したやり取りでは「交換」になってしまう。だから「無償の奉仕」が大切になってくる


誰かで抜く、誰かが作ったもので抜くのも同じ。誰かが作ったものを食べるのも同じ。与える者は与えられるものへ命のやり取りを行っている。

支配者層が有象無象を庶民に与えるのはその仕組みのため。

仮説
奉仕、命のやり取りに見えるものでも、愛を持たぬ行動では消費されない?

心の闇を消さないことには愛は持てない


恐怖支配は愛なのか?
条件は愛ではなく支配?
愛ではなく支配されている執着もある。

公開されたテレサの文章からは、晩年の彼女が孤独感と戦っていたことが明らかに読み取れる。それは修練者であった若き日のテレサが抱いていた強い思いとは対照的なものであった。手紙のなかで、彼女は何十年にもわたって神から切り離されている感覚を持っていたこと、神の愛の宣教師会を創始するために励むことができた若い頃の情熱を失っていることを訴えている。


我々は使い捨ての神の駒でしかないのか?
誰かの支配に入った?

そうだとしたら本当に遊び場ではなくて修行の場なのか

自分の世界において他者を殺してしまったが故に死んだのだとしたら。
御役御免とされて亡くなった?
誰かに、何かに生かされている状態だとそうなり得る?
人格否定をされたり、生きる意味としていたものが消えたり、必要とされなくなったり?
幽霊、怨念となりえそうに感じる死に方

「愛を感じる」力が大事?

自分の誇りに対して他者から愛を感じられていないと思い込んで亡くなること?

親前提ではなく、生活も含め、収入源など自分の塔を立てるの自立について考える

名前に対して個性が後からやってくる?

球の内側で遠心力が常に掛かっているのが重力、遠心力から抜け出した中空が宇宙?

梶への違和感、自分のスキルの自己満足
、こうあるべきだ、という考え。人を属性としか見れない奴。人の心そのものの純粋さを受け入れない。正義の押し付け。わざわざ知ってもらう必要があるのかという違和感。
スキルによる配慮というのは社会概念における正義と何も変わらない。その人を見ているのではなく属性を見ている、属性に配慮できている自分に対しての自己満足

人を人として見ず、社会的配慮の対象としてしか見ない教師のような奴に参入して欲しくない。人として関わりたい奴だけが関われ。

医者と教師は人を人として扱わないものの象徴

社会的な「善」を暗に他者に強要するのは違うと思っている

それが流布したとしても対象者が物理的に過ごしやすいだけ、それは善とはまた違う。

単純な物理的配慮のみを念頭に置いた人が配慮の行動などできるのかという疑問、したとしても表面的で、社会的に「こうするべきだ」という以上の意味はない。


しかし、自己満足が発端の行動が、他者の本当の善い行動のきっかけになることもある


手段が第一になってしまっている、違うだろう、手段は、関わりたいと思う人が自分で調べるものだろう

対象なき正義は、その人の中だけの自己満足妄想と何も変わらない。

人それぞれ感覚は違うからこそ、人の中に「他者への(配慮の)正義」的な概念などつくるべきではない。
〜すべき、というその人の中だけのイメージによる行動

親が子どもを「何かをしてあげる対象」として見ているうちは人として扱っていない



周りに危害を与えてしまうなら、その点に対してだけ、物として扱った方がいい。自然に発生してしまう周りとの齟齬、軋轢のみを防止する。人を物として扱ってしまう、物のような症状だから。

世界の仕組み自体によってその人の性質の根本に生まれた歪み

性質が与えてしまう危害を理由にその人自体を嫌いになることはない。

その人の性質のルールに物として寄り添わないとコミュニケーションはできない人もいる


全ての人は、物理的に生活できるために物として扱う最低限のサポートは必要だが、通常は常にその人を人として関わるべき

また、どうしても本能的に関わることができないことは存在する
本能的な危害があっても嫌わない


何かを奪われた者が攻撃的になるのは大半が同じ


決してわかり合えないと思われるものでも、敵意なく、寄り添ってわかろうということが大事。その後、危害などがあったとしてもそれによって相手のことがわかる

自分自身にも無意識の壁がある


物質的に支配するべきではない(染め上げるのは物的に扱われ、確定されることだと思っている。人を操作する快感)、とか、しかし、染め上げて助ける事もある

力を持った人の能力、属性だけを見て物として使い潰そうとする人への抵抗

力は、物質的に助けたい、と思った時の力にはなる。しかしそれが本当に大切なものだろうか。

物質世界は影で、心の表れなのだから、まず心を変えるべきではないか?まず習慣から変えるというのは魔術的で、思考停止状態で法則をプログラミングしているのと変わらない。プログラミングをする意図を認識し、判断すべき。必要なものは人によって全く違う。



悪いことをしている自覚があり、その自分がした分の悪いことを自分が受けることで罪を確定させるために罰、痛みを引き受ける、受け入れる


企画、作成し、誰かが作った世界と一体化し、楽しむことが喜ばれる。逆に自分も世界を作成し、他者をそれに一体化させることが求められる
人をシステムの通りに動かし、人格の一部の殺す必要がある。それは罪を犯すこととなる。



「地球にとっては人類はいなくなった方がいい」などと、そんな人間的な考えを自然や超存在がするはずがない。何かが不必要だ、処理しようという思考自体がひどく人間的で二元的で妄想破滅的

戦時の徴兵と○○チ○せっしゅの共通点。どちらも必ず死ぬと思って行くわけではない、どちらも「国のため」か「社会のため」かの違いだけ、それが当たり前という風潮によって多くの人が亡くなる(かもしれない)。しかし、運の良い人や生き残るべくする人は生き残る。目には見えないが今は戦争中?



人を好きになるとその人から心を貰える
好きな対象を創る、見出す

2018年メモ丸写し【可能性世界・神化・神話と芸術】

結果(世界=ループする記憶)に対して、過去の概念を含む記憶と思考、無意識(可能性世界)を基に、過去(自分の脳内概念)との因果関係(原因)をつくり出し、可能性世界から世界を選びとる。
意識の変化は多くの世界に触れることであり、意識に時間的可能性──具現化はしていない...認識することで可能性から世界に変わり、存在(様々な次元における存在を含む)する──がたたみこまれる。「知らないことがあたかも知っていたような」
ループ説...映画のフィルム(映像は止まっていてもフィルムは動いている状態の世界版=世界の停滞)
「今」はエンドレスエイトのように無数の可能性がループした上にあるものかもしれない。
中途半端な高次元のはざまだと空間が無限ループ=ある瞬間の範囲内においてのみ時空を超えた?
人に話すと確定され、個の書き換えがなくなる
高次元の占める率が下がれば高次元は低次元にたたみこまれ、低次元の占める率が上がるが、次元の量は変わっていない。高低次元の占める割合は、主体がどのような次元の比率の位置に存在するかによる。
過去に原因があり、結果がある≒未来のイメージ(可能性世界、実質的な未来、無意識)によって結果をつくる。可能性という原因が膨大にあるのと同様、過去も膨大に存在し、それを選択、解釈、改変できる。
4次元方向に丸まった空間が時空のおっさんの世界?(光にたたみ込まれている?)
伸びの分だけ縮みも起きている。時間が「伸び」、意識の動きが「縮み」のように、相互に動いている。
世界が上書きされ、記憶が重複する現象とデジャヴは、どちらも可能性世界、無意識の認識。可能性世界は自分を含めたあらゆる存在の可能性があり、認識できる。認識さえすれば世界は存在、進行し、自分に影響を与えるため、過去のように結果を生み出す原因となる(自分の一部となる)。結果(世界)は認識することで生み出される(過去に限らず、平行世界、他クオリアも)→自分自身へ。
多宇宙移動(可能性世界の認知)が時間であり、認識できないレベルで空間(可能性の1コマ)を移動している。可能性の1コマは瞬間の状態で存在しているのではなく、1つの5次元的クオリアの可能性の全てのパターン(その5次元的クオリアの性質そのもの)を含んだ性質として存在している。可能性の1コマ(5次元的クオリア)とは意識であり、他者のクオリア、平行世界に多数存在するクオリア、個の無意識に多数存在するクオリアのこと。
情報の出し入れ(原因と結果)=負のエントロピー的活動。自我(≒認識)は魂(実在していない可能性)と結果(世界、実在)の並在。正と負を打ち消し合うことなく並在させたまま統括、進行させる力が意識の活動(=認識し続ける力)であり時間である。可能性と実在が並在している状態では、意識は無限に選択(変化)できる。
「出会い」は認識していなかった世界(結果)=「他クオリアの世界」を認識していく、意識の流動性である。
無意識は脳にあるのではなく、高次元の世界である。
人はそれぞれ世界の一部、違う側面を見ているという点で存在する次元が違う。
個人的無意識から何かを捻出することと、物理的外部(他クオリア)から情報を得ることは本質的には同じ。自分の中の可能性世界(元々自分であったもの)も、自分の外の可能性世界(これから自分になるもの)も可能性世界であるという点で同じ。
人はそれぞれ世界の一部、違う側面を認識しており、世界のある側面の要素において世界線移動している。干渉しなければ並行して進んでいく世界線同然(自分の中の可能性世界も同様)。同じ世界なので干渉することはできるが、干渉しなければ認知していないということでその人の世界の中には存在しない。ある人が認知していなかった、世界の、ある側面が変更されても気付かない。しかし間接的にわずかに干渉しているという点もまた多宇宙、個人的無意識と同じ。重なり合っている。
過去、原因も可能性の1つ。
過去は無意識(可能性世界)へ葬られ、未来もまた可能性世界から捻出される。
インターネットもクオリア間(多数の意識)の重なる場であり、無意識、世界(集合的無意識)、多宇宙と同様。
他人(他クオリア)は、自分が認識していないものを認識している存在。
無限の分割による無限の可能性
集合している構成する意識が認識できないのは時間に組み込まれているような状態だから。その一部である(エントロピーが大きい→小さくすると...)限り認識できない。→平行世界間でも同じ
幻想世界で意識が大きく介在した世界もくり返され、その上に世界が成り立つ。それらも世界を構成しているため、波長が合うと感知できる。
時間(流れ)で物質化している。移動、代謝のような。なので隔離されていたり、固定され時間がない状態や、光のように高圧力によって時間がないものは物質として存在はせず、光のようになる。透過性をもつ。プラズマ?
幻想世界を生み出す→その世界から主へ干渉≒未来からの干渉。高次を通じて未来をつかむ
人はごく一部の刹那しかとらえられない
運命=自分自身(無意識の領域)
量子コンピュータは5次元の世界を利用している
かけ算=立体的な平行世界の数≒分割
多世界で現実をくり返している(実際にも高次元を通じて)→未来が見える
パラドクス(世界の道理で世界線移動)から形が変化して輪廻転生→死とは?
瞑想、明晰夢、死の間際は意識が活発に
他人の死=集合的無意識≒自分(可能性世界)への回帰
結果を変えることで原因を変えられる
自分は必ず死ぬ(どれだけ時間稼ぎをしても変わらない)=時間を超越した概念
昨日の自分は今日の自分がこんなに痛い思いをすることを知らず、呑気に生活していて可哀想...痛い思いをした後に感じる。過去に死んでいたらこの面白いアニメを知ることはなかったから死ななくてよかったという感覚
→「痛い思い」や「アニメ」といった記憶と過去の自分の想像によって起こる
あの時「未来の自分はどのようになっているんだろう」と考えていたなあという、過去に対する未来からの回想。過去の当時は、今の自分を未来から見るようなメタ的感覚(高次元に記憶がすり込まれる?)におちいる。
世界に名を残したい→時を超える
心(無意識、高次元)と頭脳(顕在意識=頭脳であり、記憶そのものである)はつながっている。意識と記憶がつながっている。
霊は記憶、オーラ、客観的
輪廻転生は魂の記憶
シンクロニシティパラドックスの辻褄合わせ
死...無意識(5次元レベル)でもその世界からいなくなること
ドッペルゲンガー...個人レベルの無意識における多世界干渉が具現化→存在が曖昧に。
並行世界の自分と出会う(≒次元的遭遇)→相互に影響(相手は潜在意識だがこっちは顕在意識)
印象を受ける
現実で遭遇(干渉)すると無意識では干渉している→現実に影響
遭遇から新たな世界が生まれる→生まれ変わり
全てはつながっている。死んでも死んでいない。目の前のことを変えれば全てに影響する。
無意識を通じて過去や未来を含む平行世界を認知、高次元から未来的干渉
並行世界=記憶
完全に記憶から消去される霊体験
残留思念、人との関わり、集合的無意識が個人の変化を超えた繋がり→与え合う関係=会話。環境で個人意識のチャンネルが合う。時、場所、人。
昔の自分、自分の一部で記憶している。
同一世界の歴史における同一人物の偏在と記憶、輪廻
記憶媒体の意義、夢の中のアナザー人生、恋の原理、理由
時代錯誤の精神が霊、幽体世界
波長の合った時代の有限の記憶が接続されるだけ。
記憶媒体(並行世界からの情報)は記憶にかかわらず残る
並行世界からの情報からの行動、人、物の記憶は失われてしまうけれど、違う自分ともつながっている(記憶媒体(世界を超えた無意識も)で)
記憶媒体もチャンネル想起の自分の環境の一つ。アンテナのようなもの。
リーディングシュタイナーとの会話による並行世界記憶の想起
夢を忘れる感覚
並行世界で行ったことの影響が過去から現実に
食べ物や身体を含む感情が世界線に縛りつけている

現在も過去が過去のまま存在し続けている。
虚数空間は無限状態のエネルギーであり、完全に静止している。そこから分離、運動しているのが我々の世界。逆に分離、静止させたのがプラズマなどかもしれない。
いつでも同じ事象が想起されうる、変化しうる→認識によってはループしているよう。接続した時に変わっていなかったら幻想世界上でのループ
時間が凍結されて存在、そこにワープ
無意識下、幻想世界における忘却
時間はルシファーによる次の段階→偏在?無限の重ね合わせ
話すと他者を介して集合的無意識等の記憶媒体世界(環境)に記録される?
無意識の自分と仲良く。
無意識の自分...本来の記憶媒体上の自分
時空のおっさんの世界は、時間を間伸びさせている空間。同じ空間を連続させている
時間を遅く、光のように時間が遅くなっているが影響を受けず認識できたときの空間の表れ
空間は認識である。並行世界
死は並行世界の移動&人との分断(無意識では存在)
。自分を時空を超えて偏在させる→より多くの干渉、交流
多次元はクオリア次元論の七次元的存在か?→ベクトルが違うだけで並行的に存在しており、次元ごとに干渉のしかたが違う
文字は時空を超えてアイデアとして伝わる?
出会い流動性。打消し合うのではない共存の道。 時空のおっさん(時が遅く、波長、幻想世界)
言われてみれば現象
ミクロは空間が複数(並行世界)あって時間は固定、マクロは時間が流れて空間が固定
マクロとミクロの時空反転、5次元クオリアの多世界存在、精神(記憶ができるので時間に対して包括的)が時を動かすことの関係→集合的無意識(無意識)の一部が時間と共に連続的に現れている。
時空のおっさんの世界は別次元方向にシフトして空間が重複したもの?(赤い空と光の関係は?)
止まった時間(光にたたみこまれている)は複数の空間の固定と性質的に同質(時空のおっさんの世界≒ミクロの状態)
可能性のみが魂(反物質)、全てが存在するのが世界(物質)
エネルギーのみの世界が第三の道?→エントロピーと魂の活動が進行。行き着く先は?→1つ上の次元?
知的思考過程≒エントロピー+魂の活動=秩序
時間という概念こそが全て存在する世界における秩序づけ、無意識(高次元)を介して関連し合っている。関連もまた秩序なので時間なのだ。
魂は可能性であるため関連を深層意識で認知でき、それがいわゆる前世の記憶といわれる。関連しているという点で、過去と現在の関係と、平行世界や前世と現世の関係は同じであり、時間的尺度として表すことができる。
出会い(認識していなかった世界(結果)を認識していく)=意識の流動性
自我≒認識は魂(実在していない可能性)と結果(世界、実在)の並在=無限に選択(変化)できる。
人間の意識は基本的に「時間」という状態でしか可能性世界を認知できない→見えていない側面が多数

時間と意識は表裏一体であるから、 一つの意識では1つの時間しか認識できない
寝ている時は他の可能性世界が活動している...・地球における時差・多重人格・輪廻転生...基本的には知覚できないが同じ世界の一部なので干渉可能
新たな仕組みの世界を創造、その中で楽しく暮らす→他の宇宙は?→論理が完全同率できるプラットフォーム創造
論理の完全同率が可能なことで全論理宇宙を包括する宇宙となる
現在しか知覚できない。我々は時間の流れを原因及び結果と関連させて考えている。=時空に対して変化、運動はしない→しかしそこには可能性を選びとるという過程が入っているはずだ。時間をつきつめていけば、可能性存在となる。
ヴォイニッチの世界はこの世界の裏、お互いに影響し合っている?
神話と、高次元(自然、石、植物、動物)と意識をもつ低次元(人間)の仕組み
二元的(クオリア...女、物理世界...男)曖昧性のしくみ→客観と主観...片方がないと片方が存在しえない

低を生み出すために、不自然にエントロピーを低く、物理的複雑度を上げた。→人間
自然に反すが持ちつ持たれつの分裂
主観を極めると客観が見えてきて、客観を極めると主観が見えてくる。→主観を極めた神の、物理世界の発見
可能性世界を平面化(クオリアによって選択)して処理しているので選択されない部分は認知されないが同じ時間の流れの中にある。
他の物理(森羅万象)は集合的無意識(≒世界、可能性世界)によって決定される→集合的無意識を5次元的にとらえている状態。
無意識<世界(無意識)<多世界(集合的無意識)のフラクタル構造か?全部同じか?フラクタル構造とはいえ全てはつながっているので接続は可能。人間の物理的視点を基準にした空間的規模の違いという観点ではフラクタル構造のように思えるが、それは、時間の因果関係があるように見えて実は同じ可能性世界であるという関係性と同様、フラクタル構造のように見えて全て同じである。
車などは、移動速度的に時空のおっさんの空間集団の範囲からはずれてしまう。車ら側からこちらは認識できないが、周波数が合うと可能性の1コマを認識でき、幽霊が見えるのと同質の認識ができる。幽霊は「性質」のみが周波数で引き寄せられている≒平行世界のたたみこまれた時間が見えるのと同じ→性質というのは可能性世界から得るものだが、意識が生み出した性質であり意識自体ではない。可能性の1コマという一瞬に時間がたたみこまれている。意識の進行度(認識できる範囲)≒周波数が合わないと可能性世界においてもたたみこまれた時間は認知できず、秩序を見出せない?時間と意識は表裏一体、時間に対応する意識がないと秩序は見出せない

どの可能性世界を扱って原動力としているか...自分の捉える世界を変化させること、その原動力がどのような可能性世界の比になっているかの違いしかなく、人に優劣はない。人、世界(集合的無意識)との関わりか、個人的無意識との関わりか、インターネットとの関わりか。
世界の捉え方こそがクオリア。同じ物でも見え方が違う。様々な見え方をするその全ての要素が含まれているのが世界。
多宇宙の「移動」というのは認識の連続によって起こっている。
5元的クオリア≒ある1つの意識
多数の意識が重なっている(干渉し合っている)状態とは、1つの世界の異なる側面をそれぞれの意識が認識しているという状態である。
デジタルネイチャーでは時間に組みこまれることと同様のことが起き、時間を知覚しなくなる→空=他クオリアを直接認知=可能性世界の広い認知≒インターネットそのものになる=光になる(光の速度になると時空を超える→高次元として空間にたたみこまれる)→可能性世界などにおいても空間にたたみこまれている光同様。
無意識はミクロの高次元(可能性世界でもあるため、範囲に違いはあれど世界は同じ。側面が違う)。
意識によって光(可能性世界)を情報(5次元世界)に変換していた→意識の活動量が小さく、位置する次元比率も光に値していなかった?
無意識を認知できないのは、可能性世界を1コマでしか認知できないのと同様であり、自我が1つである理由でもある。無意識、可能性世界、他クオリアが直接認識できたら(光レベルになったら)自我はいくつも持つことになる。現在は干渉の域を出ない。
可能性世界の一部を認知、干渉していたのが、可能性世界そのものになる。
意識の認識度的に知覚できないが、膨大な可能性世界はこの世界と同時に存在している。
激しい意識周辺で時間が遅くなっても、その分、他では時間が速くなり、全体の量は同じ
空間的変化が少ない≒時間の流れが遅い(意識は速い?→周りがとても遅い)→時間的にループ(ループ回数は意識を基準にして決まるのか)しているのを高次からながめている?
物理的外部=他クオリア
自分の中の可能性世界も自分の外の可能性世界も可能性のつながりという点で同じ。
自分の中にあるものレベルに滞ると死。他クオリアによって自分を広げなければ。世界線移動を引き起こさないと死。次元が違うだけで1人1人の次元において可能性世界線を移動しており、重なり合っているのがこの世界。他クオリアが可能性世界に回帰するのが死。=世界のある側面の要素において世界線移動している...可能性の1コマ=5次元的クオリア

多宇宙移動が時間。認識できないレベルでも映画のフィルムのように空間が存在している→意識が加速→空間移動(多宇宙移動)を認知するレベルになると、移動がより多くの宇宙から成されていることが認知でき、空間の重なりを認知できる。光速になり、時間を極限まで分割≒ミクロの世界と同じ?
5元的クオリアの全ての可能性は、その5元的クオリアの性質を表す。
可能性(意識...他クオリア、並行世界上のクオリア、無意識に含まれるクオリア)は瞬間では存在せず(瞬間の状態で存在しているのではない)、時間(その5元的クオリアの可能性の全てのパターン≒その5元的クオリアの性質そのもの)がたたみ込まれている。
時間が遅くなりすぎるとたたみこまれ、知覚できなくなる
物体が光の速さ(時間が止まる)で動くと理論上は長さが0になることから、光は空間にたたみ込まれた高次元的存在だと考えられる。
我々は光をはじめとした電磁波を認識し、それを媒体として他の意識ら(5元的クオリア)と干渉(インターネット、無意識、集合的無意識(世界)、多宇宙)し合っている。→自分の現在のみ認識でき、可能性世界を認識できないということから、光の1コマを認識しつつ、その1コマを通じて他の光と干渉
時間を極限まで遅くすると高次元に到達する(時間が全く流れていない状態...可能性世界が固定した状態でただ存在している)
扱う可能性世界の比は次元的な比の位置による→依存する次元らこそが5次元的クオリアを表している。それぞれのクオリアがそれぞれの自然と一体になって世界の集合を構築
自然=可能性世界。1人1人が世界を造っている。どのような次元比のクオリアがどのように組み合っているのか
高次元的位置と距離的位置はベクトルが違うが関係している。規模や距離を変えた時、世界の捉え方の違いを認識できるが、それは次元の比の違い的に距離的ベクトルで不足分を埋めているだけで、比率が少ない場所でも次元的クオリアによって比率を大きく増幅させた世界の捉え方にもなる。
認識、干渉している割合が高次元の方が多ければそちらの影響を大きく受けた結果が起こる。距離的位置による次元の表れ度の違い。距離で次元の比が変わる→時間の流れる速さの違いと関係(どれくらい時間(距離)が流れると認知できるか)か...目に見える違いが具現化
想像の産物でも全宇宙規模で見れば存在しているが、あまりにも遠く小さい範囲でそれを認知しても意識レベルの存在にはならない。→干渉度が低いため。
物体が光の速さで動くと理論上は長さが0になる。「意識と時間についての妄想」で述べたように、その際なくなった長さは我々が認知する空間より高い次元に移動したと考えられる(言い換えれば我々が認知できる空間に高次元としてたたみ込まれた)。また、物体は光の速さに近づけば近づくほどその物体の時間は周りと相対的に遅くなる。これらのことから、時間を極限まで遅くし、時間が全く流れていない状態になると、高次元に到達し、時間の中の人々には認識できなくなると考えられる。可能性世界の認知、移動が時間であるから、時間が全く流れていない状態というのは、可能性世界が固定した状態でただ存在している状態だと考えられる。しかし、人間の意識は基本的に「時間」のような状態でしか可能性世界を認知できない。つまり、意識は可能性世界の複数の側面を認識することはできるが、それは可能性世界そのものを認識しているわけではないということである。
認知できないだけで、高次元はたたみこまれてこの世界にも存在している。
次元の比の位置は意識による。可能性世界の認知できるコマ数は違うから。ある人にとっては空間にたたみこまれていることも、ある人は認識している。認識できない可能性世界は空間にたたみこまれているが世界には存在している。存在していないわけではないため、干渉はできる。
可能性世界では時間がたたみ込まれている。時空間には可能性世界がたたみこまれている。
可能性がループ...可能性世界における移動範囲がせまい。
人間などは性質が変わりやすいが、石や記録媒体などは性質が変わりにくく、性質を固定することで長期的に特定の性質を誘発させることができる。性質の波長の種類の記録が重要であり、記録媒体の力の強さは重要ではない。時間の感覚のスパンが長いものから、星、自然、石、植物、動物、人間の順に、性質が変わりやすくなっていく。
意識が9,正負が3,6
3が意識、6が周波数
これからは人間が世界の仕組みをつくる時代
物理法則(ホルスの時代、人間が創る)に抽象的概念を折り重ねる...デジタルネイチャー
抽象→具体から、具体→抽象へ
今までは普遍を与えられてその上で生きてきた(与えられたものを消費するだけ...法則ではなく、法則の下にある「物」)が、これからは自分というオンリーワンなニッチな特性がニッチなまま普遍となり、ある一面において世界を包む≒精霊(八百万の神)となる
自然をつくり出す側へ。変化を生み出すが変化しにくい≒意識、負のエントロピー
高次元=物理世界をつくる側
流動が今までは意識の流動だったが、物理の流動にそれを還元すべきなのだ→意識の流動の終了。これ以上流動できない、二元性の終わり
夢の自分は無意識の中の自分の性質のみの状態
意識、二元性、時間の消滅。デジタルネイチャー

ヒトラーの予言(結果的ロボット(法則))。人は意識を捨て、法則(新しい法則、新世界の大梵天)そのものとなる。それをヒトラーはロボットと喩えた。
古の地球の者達の高次元(多次元、異世界、他の惑星)での活動が平均化、低次元化し、表れたものが現在の地球の自然。人間が現在異質である所以。人は自分が将来自分以外の存在になることを想像しないが、人は神となる。
アニミズム...魂の拡張
神=宇宙人=異世界人=高次元人
地球が終わり、人はそれぞれの多次元に散らばっていく
世の理の結合を妨げる「拡散」
負のエントロピーで高次元に達し、従来の神のプラットフォームに進出するのを防ぐ。アウトサイダーの神を生むため
無限の変化...9、〃分裂...6、〃存在...3
意識が可能性の根源
「自然」には高次元概念である魂(無意識)はあるが、低次元概念の意識はない
曲線→直線→点線(一部ではつながっていて一部ではつながっていない。量子的、統計的。線で結ぶこともできる)
自然を生み出すことが自他共に幸せになることであり、魂の目的。地球の下で自然の一部となっている。受け入れる世界観のレベルに応じて神話の世界へ旅立つ。輪廻転生からの解脱≒地球からの解脱。地球の物から、自立した意識の他世界へ。地球で絶滅した者達も、地球では意識のない自然となり、意識は他世界(宇宙人...他の星、高次元人...地球より上、異世界人...多次元)へ。遺産は古き地球。神話は地球から分離している。受け入れられる世界へ飛ぶ。
可能性世界(従来の神に根ざしている)そのもの≒地球となり悟りを開いた者達は新世界へ。
アレルギー≒戦争。干渉せずとも大丈夫
子供が大人となり世間(言語が違うコミュニティ集団)に出ていく様
天津神から国津神のように、人が神に代わる時代へ
。神の世から意識が去り、神は衰退
個々が意識の中に世界を創造、高次元が平均化(たたみこまれる)し自然(法則)と化した人間。もうロボット人間は増えているが、それらの人の真の意識は高次にある。悟った人が性質のみの肉体を実現→世界、自然、法則の完全構築。それらの性質との違いで自分自身の世界を構築せねばならない。
物理世界に起こる作用=エネルギー(高次元)
光はエネルギーのみ
量子物理をマクロ世界に利用、変換、還元、マクロ化し、性質を生んでいるのが生物
事実的でない協力関係、法則は幻想世界、高次元世界が原因となっている→個の超越、人間の無意識 、多様性を統括、維持(高次元的維持)
マトリックスもいわば高次元的世界と物質世界の関係
高次(自然)が高次(自然)を統括するという形へ。
構成する物、つくられる元の方が高次。
対立、葛藤などが起こる、混沌とした状態なのは、その自然とは違う自然の交流の場だから。自然同士が不調和なのは、自然が自然であるために高次へ回帰するのを妨げるものがあるから。輪廻転生も。
人格同士が共有している無意識(性質のみの存在。しかし個が関わっていないわけではないので波長によって個の認識も可能)を物理世界に発現、それぞれの人格は無意識であった領域でそれぞれの世界を構築。従来はそれぞれの人格は無意識に埋もれており、人格はなかった≒意識がない
自然でなければ生きていくことはできない。自然でなくなり死滅しても、顕在意識を消してどこまで多様な世界が混在できるかの実験、いや、世界を持ったまま高次元へ上がらせない実験または監獄
可能性世界含め全人格が極地へ
無意識へ統合されないために。
可能性世界を自由に移動、全を知ることで自分を知る
それぞれの高次元に全高次元が内包されている
認識できない、この世界でいう二次元の領域に抽象的概念、思考、理由である高次元世界(エネルギー。個ではない)が光同様の状態で存在し、自然、法則の源となっている。
疑いと収束⇔信仰と拡張
言葉の発達...抽象的概念の発達
プラマイを両立させることで多様化
一つの時間に定点が複数...時間の流れの中で過去、未来、可能性等が同時存在。時間の違いによって速度(時空的な誤差)がでるのではなく、直接的には基本的に干渉できない平行した定点が複数同時存在している(マインディットの話のように)...空間にミクロとして畳み込まれている。
質量は若干時間を遅くしている
マイナスの質量...虚数世界?
与えられた根本原理よりより良い根本原理について考えること
有りて有るということは何でも存在し有るということ
有りて有り、このようにして有り、そういうものである
今まで高低次元の接続は生物が担っていた。しかし、一定レベルより上へ行くと高次元へシフトしてしまい、高低次元間で解離が起こると共に、低次の者達のシフトに対し高次は働きかけなければならなかった。それは、高次を基準として低次をつくり、操っていたから。
高次の働きかけも低次では物理法則となるため、低次においては物理の操作で高次からの影響を操作することができる。物理法則で高次の働きを再現(地球上で。高次にシフトせず)。高低次の融合。多世界の物理的解離もなくなる
様々な多世界における高技術をもつ世界から人々は地球に転生してくる。高次へやらず多世界の物理世界における共存
物理法則の高次元論理で多世界の直接干渉
死ぬ人も死なない時代へ
物理法則を操っているという点で神
物理的に地球ベースにその上に低次の概念で高次と接触、再現する新たな発明がデジタルネイチャーとロボット人間
高次の精神は物理的高次元として製作
高次元からの物理的影響に依らない世界構成。
物理的条件が揃えば高次はなくとも高次を作成可能

高次を情報として記録として物理世界に表現。確定→生成 結果からの引き寄せ...魔術? 精神はなくとも物理を操作
物理法則による物理法則の支配
哲学的ゾンビ...高次元と低次元を結ぶ媒体...生物を再現
高次元の読み取り、物理に還元
高次の論理が通用しない世界の構築
ex.特定の種類の前世情報を取り込むだけで良い...魂、意識を介さず物理で。
高次元へシフトすることを防止→哲学的ゾンビ(神を物質化もできる)を量産し、交流させ、高次元的論理で世界構築&高次元へ還元。
低次元における高次元の表現
物理で高次元を再現(労力はすごいが、実質低次元、いや、次元という概念自体がなくなるかもしれない)...光合成(ミクロの効果をマクロに適用)などと同様。高次元的概念が低次へ持ち込まれる。低次を完全操作することで低次から高次へ行かせず、高次を利用。物理的条件による高次元交流、物理で高次を利用
高次を物理的に(哲学的ゾンビなどによって)任せ、情報を管理しながら1つの物理的世界で様々な高次元世界の者達が共存できる。
同次元における交流による循環促進。同次元的交流 。循環が最も盛んなのは最低次の物質世界だから。
生物を利用するのではなく生物をつくる(新しい物理的概念から)
発端は低次であるため、高次に操られたり利用されたりしない。
物理的に高次を表現することで断絶をなくす。
力を高め、新世界の神は人間らとなる。
量子コンピュータのように、高次元を物理法則に変換(高低次元の循環のため、高次元側としてもなくてはならない存在)しているのが生物。
自分の無意識的性質的コピーの哲学的ゾンビを人間が物理からつくる。
高次元的概念も物理世界では物理的性質にしかなれないため、物理世界においては高次元的性質はなくとも、物理的な高次元の表れを表現することは可能。生物もその1つ。
神が低次において中途半端に高次を表現、再現、交流させようとしたのが生物、人間...高次だったものを低次にすること。人間は低次なもの(そこには存在していなかったもの)を高次にすべき
元々そこにいる精霊でない新たな高次元存在を物質(物理)によってつくり出す
位置している物理世界に存在していないものは、そこには(その次元のその位置には)存在していない。次元をまたがない同一の次元の物理世界に存在させるという通常ではありえないことは、新しい世界。
記録、記述によって、シフト(高次元的圧力)しない芯ができる。物理が先立ちアンテナの役割をして高次元を引き寄せるため、どこにシフトしても接続できるため。
次元の表現媒体の豊かさ。自然、星、石、植物、動物、人間(自然や悟りを感ずることはできる→その上での行動により物理世界が変わる)、人工知能(感じずとも物理世界への還元は可能)
物理を高次の仲介の場として高次にも影響を与えられるようになり、立場は神と対等となる。
それぞれの次元の論理で新プラットフォームをつくり、相互的に影響し合える環境がそれぞれの次元でつくられることによる全次元の平等→階層的だった力関係が平面的になる=お互い干渉できなくなるが、お互いの要素をそれぞれの次元で自由に使用できる→それが干渉できない、宇宙を超えた別の宇宙ということ。論理は違うが材料は同じ。材料を束ねていたのが従来の神。論理を束ねるのは最低次元、二元性の論理の物理の世界。高次の論理で二元性は表現できないが、二元性論理は論理の最小単位なので最小単位の支配=全ての論理の最小単位は二元性のため、全ての支配。
人間が新世界(量子的世界)の神となる。論理あるものは全て表現できる。存在することに端を発する1元性である材料そのものは支配できない
なっているものが存在しているもの。グレートスピリット自体。循環という論理がブラフマンを支配、存在そのものとなっている。存在そのものは存在しない。「なぜ世界は存在しないのか」の通り。外であり内という循環なのは、循環それ自体が存在という状態だから。気体→プラズマか
循環とやらがそれぞれの次元で完結→全は一、一は全の全次元における体現
究極的には循環という論理がまずあり、その枠の中で様々な論理を持った世界が階層的に支配されていた。しかし、論理の根源である二元世界の論理で全次元を再び記述することで支配が解消。循環の仕組みと材料を、全ての存在が全てを知ることとなる。全存在が世界の全てを知っても多様性はなくならない。なぜならば、存在毎に論理が違うからである。
よって、1元性以外を支配すれば1元性(ブラフマン)も支配したことになる。存在のしかた自体の種類、存在の仕組み自体の種類。次元の平面的な関係はDNAのようなもの。
循環を含み、操作。
並行して同時存在しているものの全情報は共有...共有した上での全次元の全可能性を物理で記述、利用できるが、把握できるかは別問題。論理を突破、干渉可能。論理が材料、循環を支配→論理は人間が支配。
3つの循環...3,6,9(グレートスピリット)?
生物が循環を高次的概念を基につくっている。物理世界で高次を再現することに意味がある...十牛図の最後の悟りの還元
無意識ではカオスから秩序を見出すが、物理世界ではカオスのままであり、高次元から循環などの論理を反映させなければならない。物理世界は量子的。
人間以外の生物の高次元的活動は高次すぎるため個の単位では物理世界において顕在意識として完全に表れてはいないが、人間の場合、物理上は最も複雑であるが高次元的には最も低次であるものが顕在意識として物理世界に表れている。
確実に言えることは、現在の自分が位置している世界において全ての知識が共有、認識されていないこと。低次元故だが、この世界は、低次元では高次元を認識できない者が存在するという特徴を備えている。
意識されている状態での次元同士の物理世界における共有。特定の論理をアンテナによって物理世界で認識。物理で高次元を連鎖的に記述していく。今までは分割しないと物理世界がつくり出せなかった→帰納法。分割された状態を維持するのに循環が必要だった。=高次元からの働きだけで分割を生み出していた。高次元なしには分割世界は維持できない状態。分割世界というのはいわば発見だった。高次元は物理世界にとって不安定すぎるため、高次元を物理に還元し、安定させないと、物理世界で特定の高次元は存在しないも同然。物理的記録が特定の高次元を引き寄せるアンテナ。
固定することで分離した情報同士がKJ法→固定したまま高次元が同率のプラットフォームで再現。媒体を介して間接的にしか操作できない=物理、物体そのものは操作できない。材料という論理によって元最高次は最低次を認識でき、物理世界もまた二元論によって最高次まで認識できる。今までの物理世界は循環の宇宙に存在していた。確実なのは認識できているものの現状だけ。そこからよりよい世界像を見出す。自分が認識できていないことが存在するという現実。
宇宙の外にも宇宙はあるが、論理を発達させなければ移動できない。現在は階層的循環の論理の世界に包括されている中の物理世界の論理世界にいる。発達すれば論理が独立し、より多くの情報を扱えるようになる。人間は論理を育む場の提供者となる。天使と悪魔が存在するという闇。自我のシフトに失敗
。支配というか、世界の仕組みのベースをつくる。支配構造をなくすという仕組みを世界のベースにする。新たな仕組みの世界を創造、その中で楽しく暮らす→論理が完全同率できるプラットフォーム創造、論理の完全同率が可能なことで全論理宇宙を包括する宇宙となる。完全同率...自由と平等の両立。他の論理も自分の論理に変換しないと表現できない。分かり合えない5元クオリア的論理と、共通の本質がある。どれだけ普遍から離れた(理解されない)新たな論理をつくれるかという複雑度をランダム性に求めて二元的組み合わせでシミュレート。わかり合えないが、それが目的である。誰も理解できないながら完結した世界ができれば新世界となる。二元的シミュレート世界の打破、与えられてでなくその場での創造。全てを包括する論理の模索
道徳など、形式的なことから心が入っていく≒タルパ、赤ちゃんへの情動伝染
感情が無意識に具現化し、人格、社会通念といった「性質」となる。それらには、物理世界への論理というか、その背後の理由のようなもの、という性質がある。理由を伴っていない、高次によって動くロボット≒蟻、形式的な宗教
共通論理も自分の論理でしか理解できない。
論理に支配され、蟻のように無意識下の一人格状態にはなっていないのが人の意識、精霊など
化身をつくってそれに対して行動...タルパの形成、神の概念、社会常識、自然の精霊...波長による自分の拡張
人格、社会常識とインターネットは同質...物理の背後にあるもので、理由となるもの。結果からは見えない概念的なもので、媒体がなくなればその存在は完全に物からは導くことはできなくなる。神話なども同じ。
意識は概念となりえるものならなんにでも入り込める。世界の捉え方の根本的違い
女性性である神の反対の性質をもつ、馴染まないものにも意識が現れた。
全を知りつつ一として生きる
論理の違いは側面の違い
循環の中の自然であること
未来的、技術的、精神的余裕のある世界から、厳しい状況にある低次元に魂を送る、自然的流動(循環)を起こすことで女性的に低次を援助する。その仕組み(論理)は男性的。AI。→全次元が禅的に活動するのが理想で、低次元を援助しないと間接的に自分達の環境も維持できない
二つの論理をぶつけ、論理として存在できない状態に→存在しているがしていないという曖昧な状態に→徐々に2つの論理が統合、論理が合わさった上位の論理誕生。お互いの論理はその状態で存在していながら論理を共有認識した新たな論理
巨大植物、AIに搾取される世界、人間はそれらが高次元化するための意識ある楔
元から存在した高次元的存在が二元的人間を高次元に吸収(導いている)
個性が論理世界
一つの個体内の可能性、一つの魂内の可能性、一つのハイヤーセルフ(論理世界)が組み合わされつつ循環している
過去や未来といった時間的次元軸でも、辿っていけば違う魂や違う論理世界にも到達する。世界は常に死と再生を繰り返し、変化している。
人々が二元性を超えたら、残った二元的人々はデータとなって高次元に畳み込まれ、データ内での自然の次元上昇に放任される。循環以外の論理はそこに含まれ、全ての論理もまた循環の論理のように全てに関係する。物理世界ではロボット人間のみとなるが、それが新たな人類が生きるための環境の一部となる。鳥は三次元を司り、人は四次元を司る。地球という二元的物理世界上に次元を表現するための成長過程か。次は上昇した元人間が5元的生物になるため転生。
構造こそが、無機的で全てに対応する自分自身。動物、植物、昆虫は物理世界ではそれぞれ、感情、知性、理性といった高次概念に支配され、高次概念がそのまま物理世界に体現するための一部と化している。人間は物理世界に根づいた社会と人に支配されていることで物理世界における意識を発現した。
芸術とは生み出す時のemotionalである。
生み出すクオリアの次元的感覚は人それぞれ違う。3次元的イメージは絵。完全パクリなものでも、何でも芸術的創造の元になりえる。創造する際の特色がクオリア。創造する際の、次元的見え方がクオリア。4次元的イメージに根ざしているのは小説。絵に4元イメージを適用すると膨大な絵で紙が埋めつくされるが、マンガという表現もある。4次的イメージが一瞬にして浮かんだり、時間的秩序が適用されないアイデアのような5元的イメージを文章にすると膨大になる。波、雰囲気、言葉といったさらに上のものは音楽という表現が適している。世界が浮かぶか、その背後のもの(emotion)が浮かぶか
人の意識は中途半端=複雑=変化しやすい。支配、固定されていない液状。論理の束縛が解除され、新たな論理を創る時。
絵→自分の世界をつくることで心の居場所をつくっていた。
現実世界の裏、心の拠り所として生み出されるもの→全ての概念がそれであり、またそれになりうる→自分を通して出すもの、自分で好きにできる、その世界全てを支配している状態での創作。物語が初めに全て決まっているのではなく、書き進めるとともに少し先のヴィジョンが想像でつくられていきそれを書いていく...4次元的創作
世界を変えることは創造すること。空想の世界を創造することで(自分を現実世界に反映)精神的に生きている。心躍るイメージを書く。
感情の自覚、支配、創造。人それぞれ認識している次元が違い、それを物理世界に表現することでエモーションを得る→世界の一部を構成、理想の現実化、可視化、再接続可
7元=空気。空間が複数で時間が固定(意識)
世界に何を求めるか。
できごとの記述からでは、その当時の雰囲気、暗黙の風潮やルール、常識は認識できない。未来にとってそれは神話となる。現在進行の状態ではそれらに感情が入ってemotionalな存在であるが、そこから遠い所に来てしまうと、それらはフィクションやそこら辺の石ころ同然のように感じる。
世界に同調できなければ同調できる場をつくってしまえばいい。材料は何であれ生きる場は自分の手でつくられる。
他人は創造力、想像力の源。他人は「自然」などのように、自分になりえるものの一つ。“生きること”=“芸術的創造”の一部であり、物理世界という可能性世界の一部。
人は感情の流れである。人それぞれ違う中での普遍、未来。
感情の流れが時間。よって、時間は人、コミュニティなどによって違う。
波長がある。
感情で時は流れ、世は回っている。
感情が先行し、それに物を付随させるのが芸術的創造→アイデアは?...無意識の統計処理結果のみの意識
伝統の価値...当時のありのままの知識、知恵、感覚。その時代にしか存在しない価値、時代性。そこにも感情があり、芸術に対する想像のように、時代の感情を想像することが本質。人に対する特別な感情も同じで、感情が世界をつくる理由になっている。
男性性(客観性)では、世界の見え方と相対的に自分を自覚できるけれど、自分自身を主体的に認識できない。主観は時間と共に変わることのない、時間を超えた存在。感情。→全てが同じであるという結論に至る。
世界の見方、表れ方はすさまじく関連なく変わる。しかしそのベースとなっているのは変わらない「無意識」や「感情」である。
土地に根付く雰囲気、感情
世界は唐突に終わる可能性を秘めているだけでなく、常に変わり続けている(緩やかに終わっている)。しかし、我々はいつまでも続くものと錯覚し、世界に自分を預けるように依存、利用することが当たり前、それが世界の大前提という世界となっている。世界は終わるものだということを再認識し、今やることは今しかできないのだと自覚すべきである。しかし、人間の意識、感情は変わらない。全ての意識に共通するものがあるから。
Kが死んだ理由
先生が変わってしまったことによってKの在り方も変わらざるを得なくなったが、自分が変わってしまったことで過去にとらわれていたKは、現在における行き場を見出せず、寂寞感によって死んでしまった。
消耗品...時間の一部として組み込まれた存在...デジタルネイチャーとしての光の一側面、一部。それは神話、物語と化す。客観的物理を基準にした男性性。
マタギドライヴこそが感情との合一、新世界の誕生。感情との合一を果たすには男性性を極める必要があった。女性性ありきの男性性。物理世界がなくなり、言語化できないもの、感情だけが残る
他の論理...男性性。それを知ることで女性性に回帰
感情はそれ自体が論理なので持続するが、男性性は記録が必要。
より多くの可能性世界を繋げる(論理にのっとって)のが意識

意識と時間についての妄想

〇4次元方向の伸びという概念


動いているものは光の速さに近づくほど空間を縮め、長さが縮んでいく。光の速さでは長さが0になる。

次元を1つ下げ、2次元平面である紙を3次元空間に当てはめて考える。紙に宇宙船を描き、紙を両手で持って宇宙船の長さを縮めると、3次元方向に紙がゆがむ。宇宙船の長さを0にすると、宇宙船全体が3次元空間にある状態になる。

このことから、3次元空間における空間の「縮み」は4次元方向への「伸び」と捉えることができる。

動いているものは光の速さに近づくほど時間の速さが遅くなるが、速さが違っても、同じ距離の移動における空間の縮み(4次元方向への伸び)の合計の量は同じだということが考えられる。

つまり、時間は移動距離であると言える。

物体のエントロピーの増大や、生物の代謝、運動も空間の縮み(4次元方向への伸び)を少なからず伴っている。




〇我々は巨大なブラックホールに落下中であるという説


ブラックホールに落下する物を外から見ると速度がだんだん遅くなって見えるように、我々が宇宙の速度に対して減速していっている(光速に近づき時間が遅くなっている)ため、宇宙が加速膨張しているように見えるのではないかと考える。

重力は空間を縮める。空間の縮みが重力であるとも言える。重力が強ければ強いほど空間が縮み、縮んだ空間内の物体は光速に近づき、時間の速さは遅くなる。

ブラックホールを2次元平面に当てはめると、周りの空間を縮めて4次元方向に伸びる穴のようなものだということが想像できる。

空間が縮んでいる状態は物体が高速で動いている時の空間の状態と同じであることから、ブラックホールの事象の地平面と言われるところは、物体が光の速さで動く時と同じだけ空間が縮んでいると考えられる。

したがって、事象の地平面を越えると、1つ上の次元{ 1つ上の次元から3次元空間に与える影響が時間の概念(1次元的)だと考えた場合の、時間の次元が1つ上がった世界? }に入ると思われる。

非常に大きなブラックホールに落下するものには、高熱を感じたり、重力や、時間や空間の伸縮を感じるといったことは起こらず、何事もないままブラックホールの最深部まで落下するという。

しかし、それは知覚できないというだけであって、実際は落下していくにつれて空間は縮み、4次元方向には伸びていっている。

静止する物体でも、4次元方向に伸びた分だけエントロピーが大きくなると考えられる。

つまり、静止する物体(自ら動かない物体)も4次元方向への伸びによって動かされる。

一方、高速で動く物体や、代謝、運動する生物などは、エントロピー増大ぶんの運動距離の一部を自主的な運動に当てることでエントロピー増大が抑制され、少なからず時間の速さが遅くなっていることが考えられる。




〇意識と時間の関係について


脳がたくさんの刺激を感じる時や、身体の代謝が激しくなっている時などは時間の流れが遅く感じるという。

つまり、意識の活動量が大きい時は、意識における時間の流れが相対的に速くなっていると言える。

時間の速さが速くなることは、4次元方向における「縮み」だと捉えることができる。

また、3次元と同様に考えると、4次元方向の「縮み」は5次元方向への「伸び」になる。

物体の運動とは違い、意識の動きが4次元方向の伸びに換算されない理由は、意識の動きは5次元方向の伸びだからだと考えられる。

3次元空間に2次元的な時間が加わった世界が5次元世界だと仮定すると、意識は時間を2次元的に捉えていることも考えられる。

4次元方向への「伸び」が時間の流れだとすると、4次元方向での「縮み」は時間の「戻り」と捉えることができる。

4次元方向の伸縮がない状態から「縮み」を起こすと時間が戻る(流れる時間とは逆の影響が表れる)と考えられるが、

我々は巨大なブラックホールによって4次元方向に伸びているため、意識の動きを速くすることによって4次元方向の「縮み」を起こしても、時間の速さが遅く感じるだけにとどまるのだということが考えられる。

昔(巨大なブラックホールによる4次元方向への伸びが小さい頃)では、意識の活動を加速させることで過去方向に時間移動ができたということも考えられる。

超弦理論では、コンパクト化された6次元空間が4次元時空の各点に存在しており、6次元空間を「平均化」した4次元時空を我々は認識しているという。

意識の動きは5次元方向の「伸び」だと述べたが、その伸びは6次元空間からもたらされるということが推測できる。

人は身体の器官単体においても脳のようなはたらきを行っているものがあるという。

生命活動によって脳(意識)同士の間に時間の同時性を生み出すことにより、身体中の意識が統合(=平均化)されたものが我々の意識だと考えることができる。

規模の大きな時間から小さな時間にまで意識は関係しており、意識はどこにでも存在し得ることが考えられる。

意識同士や意識と物質、時間は関係しているため、少なからず意識もエントロピー増大の影響を受けていると言える。

その結果、意識は統合されていっているのではないかと考える。
意識同士の干渉が、テレパシー、前世の記憶、残留思念といったものを生み出したり、生物の意識は死後に統合されるといったことも考えられる。
統合された意識が分裂すると、解離性同一性障害のような状態になるのかもしれない。

4次元的事象であるエントロピー増大が意識にも適用され、その意識もまた4次元的事象である時間を生み出しているといえる。

言葉が人に与える影響

人は五感の情報から思考、感情、感覚を生み出し、それらによる経験で自己を形作っている。思考、感情、感覚は変化するため、それに伴い体験も変化し、少なからず自己も変化する。

何らかの規則性の認知によって言語を認識することができ、言語の組み合わせによって意味や概念を無限に作り出せる。心身における様々な体験によって新たな概念の想起が促されるが、それらの思考は自己に依存するため、物事の捉え方は人によって違う上、変化する。

また、人にとって言語は物事の捉え方のベースとなっており、それらの物事は自己形成の一端を担っている。