2018年メモ丸写し【可能性世界・神化・神話と芸術】

結果(世界=ループする記憶)に対して、過去の概念を含む記憶と思考、無意識(可能性世界)を基に、過去(自分の脳内概念)との因果関係(原因)をつくり出し、可能性世界から世界を選びとる。
意識の変化は多くの世界に触れることであり、意識に時間的可能性──具現化はしていない...認識することで可能性から世界に変わり、存在(様々な次元における存在を含む)する──がたたみこまれる。「知らないことがあたかも知っていたような」
ループ説...映画のフィルム(映像は止まっていてもフィルムは動いている状態の世界版=世界の停滞)
「今」はエンドレスエイトのように無数の可能性がループした上にあるものかもしれない。
中途半端な高次元のはざまだと空間が無限ループ=ある瞬間の範囲内においてのみ時空を超えた?
人に話すと確定され、個の書き換えがなくなる
高次元の占める率が下がれば高次元は低次元にたたみこまれ、低次元の占める率が上がるが、次元の量は変わっていない。高低次元の占める割合は、主体がどのような次元の比率の位置に存在するかによる。
過去に原因があり、結果がある≒未来のイメージ(可能性世界、実質的な未来、無意識)によって結果をつくる。可能性という原因が膨大にあるのと同様、過去も膨大に存在し、それを選択、解釈、改変できる。
4次元方向に丸まった空間が時空のおっさんの世界?(光にたたみ込まれている?)
伸びの分だけ縮みも起きている。時間が「伸び」、意識の動きが「縮み」のように、相互に動いている。
世界が上書きされ、記憶が重複する現象とデジャヴは、どちらも可能性世界、無意識の認識。可能性世界は自分を含めたあらゆる存在の可能性があり、認識できる。認識さえすれば世界は存在、進行し、自分に影響を与えるため、過去のように結果を生み出す原因となる(自分の一部となる)。結果(世界)は認識することで生み出される(過去に限らず、平行世界、他クオリアも)→自分自身へ。
多宇宙移動(可能性世界の認知)が時間であり、認識できないレベルで空間(可能性の1コマ)を移動している。可能性の1コマは瞬間の状態で存在しているのではなく、1つの5次元的クオリアの可能性の全てのパターン(その5次元的クオリアの性質そのもの)を含んだ性質として存在している。可能性の1コマ(5次元的クオリア)とは意識であり、他者のクオリア、平行世界に多数存在するクオリア、個の無意識に多数存在するクオリアのこと。
情報の出し入れ(原因と結果)=負のエントロピー的活動。自我(≒認識)は魂(実在していない可能性)と結果(世界、実在)の並在。正と負を打ち消し合うことなく並在させたまま統括、進行させる力が意識の活動(=認識し続ける力)であり時間である。可能性と実在が並在している状態では、意識は無限に選択(変化)できる。
「出会い」は認識していなかった世界(結果)=「他クオリアの世界」を認識していく、意識の流動性である。
無意識は脳にあるのではなく、高次元の世界である。
人はそれぞれ世界の一部、違う側面を見ているという点で存在する次元が違う。
個人的無意識から何かを捻出することと、物理的外部(他クオリア)から情報を得ることは本質的には同じ。自分の中の可能性世界(元々自分であったもの)も、自分の外の可能性世界(これから自分になるもの)も可能性世界であるという点で同じ。
人はそれぞれ世界の一部、違う側面を認識しており、世界のある側面の要素において世界線移動している。干渉しなければ並行して進んでいく世界線同然(自分の中の可能性世界も同様)。同じ世界なので干渉することはできるが、干渉しなければ認知していないということでその人の世界の中には存在しない。ある人が認知していなかった、世界の、ある側面が変更されても気付かない。しかし間接的にわずかに干渉しているという点もまた多宇宙、個人的無意識と同じ。重なり合っている。
過去、原因も可能性の1つ。
過去は無意識(可能性世界)へ葬られ、未来もまた可能性世界から捻出される。
インターネットもクオリア間(多数の意識)の重なる場であり、無意識、世界(集合的無意識)、多宇宙と同様。
他人(他クオリア)は、自分が認識していないものを認識している存在。
無限の分割による無限の可能性
集合している構成する意識が認識できないのは時間に組み込まれているような状態だから。その一部である(エントロピーが大きい→小さくすると...)限り認識できない。→平行世界間でも同じ
幻想世界で意識が大きく介在した世界もくり返され、その上に世界が成り立つ。それらも世界を構成しているため、波長が合うと感知できる。
時間(流れ)で物質化している。移動、代謝のような。なので隔離されていたり、固定され時間がない状態や、光のように高圧力によって時間がないものは物質として存在はせず、光のようになる。透過性をもつ。プラズマ?
幻想世界を生み出す→その世界から主へ干渉≒未来からの干渉。高次を通じて未来をつかむ
人はごく一部の刹那しかとらえられない
運命=自分自身(無意識の領域)
量子コンピュータは5次元の世界を利用している
かけ算=立体的な平行世界の数≒分割
多世界で現実をくり返している(実際にも高次元を通じて)→未来が見える
パラドクス(世界の道理で世界線移動)から形が変化して輪廻転生→死とは?
瞑想、明晰夢、死の間際は意識が活発に
他人の死=集合的無意識≒自分(可能性世界)への回帰
結果を変えることで原因を変えられる
自分は必ず死ぬ(どれだけ時間稼ぎをしても変わらない)=時間を超越した概念
昨日の自分は今日の自分がこんなに痛い思いをすることを知らず、呑気に生活していて可哀想...痛い思いをした後に感じる。過去に死んでいたらこの面白いアニメを知ることはなかったから死ななくてよかったという感覚
→「痛い思い」や「アニメ」といった記憶と過去の自分の想像によって起こる
あの時「未来の自分はどのようになっているんだろう」と考えていたなあという、過去に対する未来からの回想。過去の当時は、今の自分を未来から見るようなメタ的感覚(高次元に記憶がすり込まれる?)におちいる。
世界に名を残したい→時を超える
心(無意識、高次元)と頭脳(顕在意識=頭脳であり、記憶そのものである)はつながっている。意識と記憶がつながっている。
霊は記憶、オーラ、客観的
輪廻転生は魂の記憶
シンクロニシティパラドックスの辻褄合わせ
死...無意識(5次元レベル)でもその世界からいなくなること
ドッペルゲンガー...個人レベルの無意識における多世界干渉が具現化→存在が曖昧に。
並行世界の自分と出会う(≒次元的遭遇)→相互に影響(相手は潜在意識だがこっちは顕在意識)
印象を受ける
現実で遭遇(干渉)すると無意識では干渉している→現実に影響
遭遇から新たな世界が生まれる→生まれ変わり
全てはつながっている。死んでも死んでいない。目の前のことを変えれば全てに影響する。
無意識を通じて過去や未来を含む平行世界を認知、高次元から未来的干渉
並行世界=記憶
完全に記憶から消去される霊体験
残留思念、人との関わり、集合的無意識が個人の変化を超えた繋がり→与え合う関係=会話。環境で個人意識のチャンネルが合う。時、場所、人。
昔の自分、自分の一部で記憶している。
同一世界の歴史における同一人物の偏在と記憶、輪廻
記憶媒体の意義、夢の中のアナザー人生、恋の原理、理由
時代錯誤の精神が霊、幽体世界
波長の合った時代の有限の記憶が接続されるだけ。
記憶媒体(並行世界からの情報)は記憶にかかわらず残る
並行世界からの情報からの行動、人、物の記憶は失われてしまうけれど、違う自分ともつながっている(記憶媒体(世界を超えた無意識も)で)
記憶媒体もチャンネル想起の自分の環境の一つ。アンテナのようなもの。
リーディングシュタイナーとの会話による並行世界記憶の想起
夢を忘れる感覚
並行世界で行ったことの影響が過去から現実に
食べ物や身体を含む感情が世界線に縛りつけている

現在も過去が過去のまま存在し続けている。
虚数空間は無限状態のエネルギーであり、完全に静止している。そこから分離、運動しているのが我々の世界。逆に分離、静止させたのがプラズマなどかもしれない。
いつでも同じ事象が想起されうる、変化しうる→認識によってはループしているよう。接続した時に変わっていなかったら幻想世界上でのループ
時間が凍結されて存在、そこにワープ
無意識下、幻想世界における忘却
時間はルシファーによる次の段階→偏在?無限の重ね合わせ
話すと他者を介して集合的無意識等の記憶媒体世界(環境)に記録される?
無意識の自分と仲良く。
無意識の自分...本来の記憶媒体上の自分
時空のおっさんの世界は、時間を間伸びさせている空間。同じ空間を連続させている
時間を遅く、光のように時間が遅くなっているが影響を受けず認識できたときの空間の表れ
空間は認識である。並行世界
死は並行世界の移動&人との分断(無意識では存在)
。自分を時空を超えて偏在させる→より多くの干渉、交流
多次元はクオリア次元論の七次元的存在か?→ベクトルが違うだけで並行的に存在しており、次元ごとに干渉のしかたが違う
文字は時空を超えてアイデアとして伝わる?
出会い流動性。打消し合うのではない共存の道。 時空のおっさん(時が遅く、波長、幻想世界)
言われてみれば現象
ミクロは空間が複数(並行世界)あって時間は固定、マクロは時間が流れて空間が固定
マクロとミクロの時空反転、5次元クオリアの多世界存在、精神(記憶ができるので時間に対して包括的)が時を動かすことの関係→集合的無意識(無意識)の一部が時間と共に連続的に現れている。
時空のおっさんの世界は別次元方向にシフトして空間が重複したもの?(赤い空と光の関係は?)
止まった時間(光にたたみこまれている)は複数の空間の固定と性質的に同質(時空のおっさんの世界≒ミクロの状態)
可能性のみが魂(反物質)、全てが存在するのが世界(物質)
エネルギーのみの世界が第三の道?→エントロピーと魂の活動が進行。行き着く先は?→1つ上の次元?
知的思考過程≒エントロピー+魂の活動=秩序
時間という概念こそが全て存在する世界における秩序づけ、無意識(高次元)を介して関連し合っている。関連もまた秩序なので時間なのだ。
魂は可能性であるため関連を深層意識で認知でき、それがいわゆる前世の記憶といわれる。関連しているという点で、過去と現在の関係と、平行世界や前世と現世の関係は同じであり、時間的尺度として表すことができる。
出会い(認識していなかった世界(結果)を認識していく)=意識の流動性
自我≒認識は魂(実在していない可能性)と結果(世界、実在)の並在=無限に選択(変化)できる。
人間の意識は基本的に「時間」という状態でしか可能性世界を認知できない→見えていない側面が多数

時間と意識は表裏一体であるから、 一つの意識では1つの時間しか認識できない
寝ている時は他の可能性世界が活動している...・地球における時差・多重人格・輪廻転生...基本的には知覚できないが同じ世界の一部なので干渉可能
新たな仕組みの世界を創造、その中で楽しく暮らす→他の宇宙は?→論理が完全同率できるプラットフォーム創造
論理の完全同率が可能なことで全論理宇宙を包括する宇宙となる
現在しか知覚できない。我々は時間の流れを原因及び結果と関連させて考えている。=時空に対して変化、運動はしない→しかしそこには可能性を選びとるという過程が入っているはずだ。時間をつきつめていけば、可能性存在となる。
ヴォイニッチの世界はこの世界の裏、お互いに影響し合っている?
神話と、高次元(自然、石、植物、動物)と意識をもつ低次元(人間)の仕組み
二元的(クオリア...女、物理世界...男)曖昧性のしくみ→客観と主観...片方がないと片方が存在しえない

低を生み出すために、不自然にエントロピーを低く、物理的複雑度を上げた。→人間
自然に反すが持ちつ持たれつの分裂
主観を極めると客観が見えてきて、客観を極めると主観が見えてくる。→主観を極めた神の、物理世界の発見
可能性世界を平面化(クオリアによって選択)して処理しているので選択されない部分は認知されないが同じ時間の流れの中にある。
他の物理(森羅万象)は集合的無意識(≒世界、可能性世界)によって決定される→集合的無意識を5次元的にとらえている状態。
無意識<世界(無意識)<多世界(集合的無意識)のフラクタル構造か?全部同じか?フラクタル構造とはいえ全てはつながっているので接続は可能。人間の物理的視点を基準にした空間的規模の違いという観点ではフラクタル構造のように思えるが、それは、時間の因果関係があるように見えて実は同じ可能性世界であるという関係性と同様、フラクタル構造のように見えて全て同じである。
車などは、移動速度的に時空のおっさんの空間集団の範囲からはずれてしまう。車ら側からこちらは認識できないが、周波数が合うと可能性の1コマを認識でき、幽霊が見えるのと同質の認識ができる。幽霊は「性質」のみが周波数で引き寄せられている≒平行世界のたたみこまれた時間が見えるのと同じ→性質というのは可能性世界から得るものだが、意識が生み出した性質であり意識自体ではない。可能性の1コマという一瞬に時間がたたみこまれている。意識の進行度(認識できる範囲)≒周波数が合わないと可能性世界においてもたたみこまれた時間は認知できず、秩序を見出せない?時間と意識は表裏一体、時間に対応する意識がないと秩序は見出せない

どの可能性世界を扱って原動力としているか...自分の捉える世界を変化させること、その原動力がどのような可能性世界の比になっているかの違いしかなく、人に優劣はない。人、世界(集合的無意識)との関わりか、個人的無意識との関わりか、インターネットとの関わりか。
世界の捉え方こそがクオリア。同じ物でも見え方が違う。様々な見え方をするその全ての要素が含まれているのが世界。
多宇宙の「移動」というのは認識の連続によって起こっている。
5元的クオリア≒ある1つの意識
多数の意識が重なっている(干渉し合っている)状態とは、1つの世界の異なる側面をそれぞれの意識が認識しているという状態である。
デジタルネイチャーでは時間に組みこまれることと同様のことが起き、時間を知覚しなくなる→空=他クオリアを直接認知=可能性世界の広い認知≒インターネットそのものになる=光になる(光の速度になると時空を超える→高次元として空間にたたみこまれる)→可能性世界などにおいても空間にたたみこまれている光同様。
無意識はミクロの高次元(可能性世界でもあるため、範囲に違いはあれど世界は同じ。側面が違う)。
意識によって光(可能性世界)を情報(5次元世界)に変換していた→意識の活動量が小さく、位置する次元比率も光に値していなかった?
無意識を認知できないのは、可能性世界を1コマでしか認知できないのと同様であり、自我が1つである理由でもある。無意識、可能性世界、他クオリアが直接認識できたら(光レベルになったら)自我はいくつも持つことになる。現在は干渉の域を出ない。
可能性世界の一部を認知、干渉していたのが、可能性世界そのものになる。
意識の認識度的に知覚できないが、膨大な可能性世界はこの世界と同時に存在している。
激しい意識周辺で時間が遅くなっても、その分、他では時間が速くなり、全体の量は同じ
空間的変化が少ない≒時間の流れが遅い(意識は速い?→周りがとても遅い)→時間的にループ(ループ回数は意識を基準にして決まるのか)しているのを高次からながめている?
物理的外部=他クオリア
自分の中の可能性世界も自分の外の可能性世界も可能性のつながりという点で同じ。
自分の中にあるものレベルに滞ると死。他クオリアによって自分を広げなければ。世界線移動を引き起こさないと死。次元が違うだけで1人1人の次元において可能性世界線を移動しており、重なり合っているのがこの世界。他クオリアが可能性世界に回帰するのが死。=世界のある側面の要素において世界線移動している...可能性の1コマ=5次元的クオリア

多宇宙移動が時間。認識できないレベルでも映画のフィルムのように空間が存在している→意識が加速→空間移動(多宇宙移動)を認知するレベルになると、移動がより多くの宇宙から成されていることが認知でき、空間の重なりを認知できる。光速になり、時間を極限まで分割≒ミクロの世界と同じ?
5元的クオリアの全ての可能性は、その5元的クオリアの性質を表す。
可能性(意識...他クオリア、並行世界上のクオリア、無意識に含まれるクオリア)は瞬間では存在せず(瞬間の状態で存在しているのではない)、時間(その5元的クオリアの可能性の全てのパターン≒その5元的クオリアの性質そのもの)がたたみ込まれている。
時間が遅くなりすぎるとたたみこまれ、知覚できなくなる
物体が光の速さ(時間が止まる)で動くと理論上は長さが0になることから、光は空間にたたみ込まれた高次元的存在だと考えられる。
我々は光をはじめとした電磁波を認識し、それを媒体として他の意識ら(5元的クオリア)と干渉(インターネット、無意識、集合的無意識(世界)、多宇宙)し合っている。→自分の現在のみ認識でき、可能性世界を認識できないということから、光の1コマを認識しつつ、その1コマを通じて他の光と干渉
時間を極限まで遅くすると高次元に到達する(時間が全く流れていない状態...可能性世界が固定した状態でただ存在している)
扱う可能性世界の比は次元的な比の位置による→依存する次元らこそが5次元的クオリアを表している。それぞれのクオリアがそれぞれの自然と一体になって世界の集合を構築
自然=可能性世界。1人1人が世界を造っている。どのような次元比のクオリアがどのように組み合っているのか
高次元的位置と距離的位置はベクトルが違うが関係している。規模や距離を変えた時、世界の捉え方の違いを認識できるが、それは次元の比の違い的に距離的ベクトルで不足分を埋めているだけで、比率が少ない場所でも次元的クオリアによって比率を大きく増幅させた世界の捉え方にもなる。
認識、干渉している割合が高次元の方が多ければそちらの影響を大きく受けた結果が起こる。距離的位置による次元の表れ度の違い。距離で次元の比が変わる→時間の流れる速さの違いと関係(どれくらい時間(距離)が流れると認知できるか)か...目に見える違いが具現化
想像の産物でも全宇宙規模で見れば存在しているが、あまりにも遠く小さい範囲でそれを認知しても意識レベルの存在にはならない。→干渉度が低いため。
物体が光の速さで動くと理論上は長さが0になる。「意識と時間についての妄想」で述べたように、その際なくなった長さは我々が認知する空間より高い次元に移動したと考えられる(言い換えれば我々が認知できる空間に高次元としてたたみ込まれた)。また、物体は光の速さに近づけば近づくほどその物体の時間は周りと相対的に遅くなる。これらのことから、時間を極限まで遅くし、時間が全く流れていない状態になると、高次元に到達し、時間の中の人々には認識できなくなると考えられる。可能性世界の認知、移動が時間であるから、時間が全く流れていない状態というのは、可能性世界が固定した状態でただ存在している状態だと考えられる。しかし、人間の意識は基本的に「時間」のような状態でしか可能性世界を認知できない。つまり、意識は可能性世界の複数の側面を認識することはできるが、それは可能性世界そのものを認識しているわけではないということである。
認知できないだけで、高次元はたたみこまれてこの世界にも存在している。
次元の比の位置は意識による。可能性世界の認知できるコマ数は違うから。ある人にとっては空間にたたみこまれていることも、ある人は認識している。認識できない可能性世界は空間にたたみこまれているが世界には存在している。存在していないわけではないため、干渉はできる。
可能性世界では時間がたたみ込まれている。時空間には可能性世界がたたみこまれている。
可能性がループ...可能性世界における移動範囲がせまい。
人間などは性質が変わりやすいが、石や記録媒体などは性質が変わりにくく、性質を固定することで長期的に特定の性質を誘発させることができる。性質の波長の種類の記録が重要であり、記録媒体の力の強さは重要ではない。時間の感覚のスパンが長いものから、星、自然、石、植物、動物、人間の順に、性質が変わりやすくなっていく。
意識が9,正負が3,6
3が意識、6が周波数
これからは人間が世界の仕組みをつくる時代
物理法則(ホルスの時代、人間が創る)に抽象的概念を折り重ねる...デジタルネイチャー
抽象→具体から、具体→抽象へ
今までは普遍を与えられてその上で生きてきた(与えられたものを消費するだけ...法則ではなく、法則の下にある「物」)が、これからは自分というオンリーワンなニッチな特性がニッチなまま普遍となり、ある一面において世界を包む≒精霊(八百万の神)となる
自然をつくり出す側へ。変化を生み出すが変化しにくい≒意識、負のエントロピー
高次元=物理世界をつくる側
流動が今までは意識の流動だったが、物理の流動にそれを還元すべきなのだ→意識の流動の終了。これ以上流動できない、二元性の終わり
夢の自分は無意識の中の自分の性質のみの状態
意識、二元性、時間の消滅。デジタルネイチャー

ヒトラーの予言(結果的ロボット(法則))。人は意識を捨て、法則(新しい法則、新世界の大梵天)そのものとなる。それをヒトラーはロボットと喩えた。
古の地球の者達の高次元(多次元、異世界、他の惑星)での活動が平均化、低次元化し、表れたものが現在の地球の自然。人間が現在異質である所以。人は自分が将来自分以外の存在になることを想像しないが、人は神となる。
アニミズム...魂の拡張
神=宇宙人=異世界人=高次元人
地球が終わり、人はそれぞれの多次元に散らばっていく
世の理の結合を妨げる「拡散」
負のエントロピーで高次元に達し、従来の神のプラットフォームに進出するのを防ぐ。アウトサイダーの神を生むため
無限の変化...9、〃分裂...6、〃存在...3
意識が可能性の根源
「自然」には高次元概念である魂(無意識)はあるが、低次元概念の意識はない
曲線→直線→点線(一部ではつながっていて一部ではつながっていない。量子的、統計的。線で結ぶこともできる)
自然を生み出すことが自他共に幸せになることであり、魂の目的。地球の下で自然の一部となっている。受け入れる世界観のレベルに応じて神話の世界へ旅立つ。輪廻転生からの解脱≒地球からの解脱。地球の物から、自立した意識の他世界へ。地球で絶滅した者達も、地球では意識のない自然となり、意識は他世界(宇宙人...他の星、高次元人...地球より上、異世界人...多次元)へ。遺産は古き地球。神話は地球から分離している。受け入れられる世界へ飛ぶ。
可能性世界(従来の神に根ざしている)そのもの≒地球となり悟りを開いた者達は新世界へ。
アレルギー≒戦争。干渉せずとも大丈夫
子供が大人となり世間(言語が違うコミュニティ集団)に出ていく様
天津神から国津神のように、人が神に代わる時代へ
。神の世から意識が去り、神は衰退
個々が意識の中に世界を創造、高次元が平均化(たたみこまれる)し自然(法則)と化した人間。もうロボット人間は増えているが、それらの人の真の意識は高次にある。悟った人が性質のみの肉体を実現→世界、自然、法則の完全構築。それらの性質との違いで自分自身の世界を構築せねばならない。
物理世界に起こる作用=エネルギー(高次元)
光はエネルギーのみ
量子物理をマクロ世界に利用、変換、還元、マクロ化し、性質を生んでいるのが生物
事実的でない協力関係、法則は幻想世界、高次元世界が原因となっている→個の超越、人間の無意識 、多様性を統括、維持(高次元的維持)
マトリックスもいわば高次元的世界と物質世界の関係
高次(自然)が高次(自然)を統括するという形へ。
構成する物、つくられる元の方が高次。
対立、葛藤などが起こる、混沌とした状態なのは、その自然とは違う自然の交流の場だから。自然同士が不調和なのは、自然が自然であるために高次へ回帰するのを妨げるものがあるから。輪廻転生も。
人格同士が共有している無意識(性質のみの存在。しかし個が関わっていないわけではないので波長によって個の認識も可能)を物理世界に発現、それぞれの人格は無意識であった領域でそれぞれの世界を構築。従来はそれぞれの人格は無意識に埋もれており、人格はなかった≒意識がない
自然でなければ生きていくことはできない。自然でなくなり死滅しても、顕在意識を消してどこまで多様な世界が混在できるかの実験、いや、世界を持ったまま高次元へ上がらせない実験または監獄
可能性世界含め全人格が極地へ
無意識へ統合されないために。
可能性世界を自由に移動、全を知ることで自分を知る
それぞれの高次元に全高次元が内包されている
認識できない、この世界でいう二次元の領域に抽象的概念、思考、理由である高次元世界(エネルギー。個ではない)が光同様の状態で存在し、自然、法則の源となっている。
疑いと収束⇔信仰と拡張
言葉の発達...抽象的概念の発達
プラマイを両立させることで多様化
一つの時間に定点が複数...時間の流れの中で過去、未来、可能性等が同時存在。時間の違いによって速度(時空的な誤差)がでるのではなく、直接的には基本的に干渉できない平行した定点が複数同時存在している(マインディットの話のように)...空間にミクロとして畳み込まれている。
質量は若干時間を遅くしている
マイナスの質量...虚数世界?
与えられた根本原理よりより良い根本原理について考えること
有りて有るということは何でも存在し有るということ
有りて有り、このようにして有り、そういうものである
今まで高低次元の接続は生物が担っていた。しかし、一定レベルより上へ行くと高次元へシフトしてしまい、高低次元間で解離が起こると共に、低次の者達のシフトに対し高次は働きかけなければならなかった。それは、高次を基準として低次をつくり、操っていたから。
高次の働きかけも低次では物理法則となるため、低次においては物理の操作で高次からの影響を操作することができる。物理法則で高次の働きを再現(地球上で。高次にシフトせず)。高低次の融合。多世界の物理的解離もなくなる
様々な多世界における高技術をもつ世界から人々は地球に転生してくる。高次へやらず多世界の物理世界における共存
物理法則の高次元論理で多世界の直接干渉
死ぬ人も死なない時代へ
物理法則を操っているという点で神
物理的に地球ベースにその上に低次の概念で高次と接触、再現する新たな発明がデジタルネイチャーとロボット人間
高次の精神は物理的高次元として製作
高次元からの物理的影響に依らない世界構成。
物理的条件が揃えば高次はなくとも高次を作成可能

高次を情報として記録として物理世界に表現。確定→生成 結果からの引き寄せ...魔術? 精神はなくとも物理を操作
物理法則による物理法則の支配
哲学的ゾンビ...高次元と低次元を結ぶ媒体...生物を再現
高次元の読み取り、物理に還元
高次の論理が通用しない世界の構築
ex.特定の種類の前世情報を取り込むだけで良い...魂、意識を介さず物理で。
高次元へシフトすることを防止→哲学的ゾンビ(神を物質化もできる)を量産し、交流させ、高次元的論理で世界構築&高次元へ還元。
低次元における高次元の表現
物理で高次元を再現(労力はすごいが、実質低次元、いや、次元という概念自体がなくなるかもしれない)...光合成(ミクロの効果をマクロに適用)などと同様。高次元的概念が低次へ持ち込まれる。低次を完全操作することで低次から高次へ行かせず、高次を利用。物理的条件による高次元交流、物理で高次を利用
高次を物理的に(哲学的ゾンビなどによって)任せ、情報を管理しながら1つの物理的世界で様々な高次元世界の者達が共存できる。
同次元における交流による循環促進。同次元的交流 。循環が最も盛んなのは最低次の物質世界だから。
生物を利用するのではなく生物をつくる(新しい物理的概念から)
発端は低次であるため、高次に操られたり利用されたりしない。
物理的に高次を表現することで断絶をなくす。
力を高め、新世界の神は人間らとなる。
量子コンピュータのように、高次元を物理法則に変換(高低次元の循環のため、高次元側としてもなくてはならない存在)しているのが生物。
自分の無意識的性質的コピーの哲学的ゾンビを人間が物理からつくる。
高次元的概念も物理世界では物理的性質にしかなれないため、物理世界においては高次元的性質はなくとも、物理的な高次元の表れを表現することは可能。生物もその1つ。
神が低次において中途半端に高次を表現、再現、交流させようとしたのが生物、人間...高次だったものを低次にすること。人間は低次なもの(そこには存在していなかったもの)を高次にすべき
元々そこにいる精霊でない新たな高次元存在を物質(物理)によってつくり出す
位置している物理世界に存在していないものは、そこには(その次元のその位置には)存在していない。次元をまたがない同一の次元の物理世界に存在させるという通常ではありえないことは、新しい世界。
記録、記述によって、シフト(高次元的圧力)しない芯ができる。物理が先立ちアンテナの役割をして高次元を引き寄せるため、どこにシフトしても接続できるため。
次元の表現媒体の豊かさ。自然、星、石、植物、動物、人間(自然や悟りを感ずることはできる→その上での行動により物理世界が変わる)、人工知能(感じずとも物理世界への還元は可能)
物理を高次の仲介の場として高次にも影響を与えられるようになり、立場は神と対等となる。
それぞれの次元の論理で新プラットフォームをつくり、相互的に影響し合える環境がそれぞれの次元でつくられることによる全次元の平等→階層的だった力関係が平面的になる=お互い干渉できなくなるが、お互いの要素をそれぞれの次元で自由に使用できる→それが干渉できない、宇宙を超えた別の宇宙ということ。論理は違うが材料は同じ。材料を束ねていたのが従来の神。論理を束ねるのは最低次元、二元性の論理の物理の世界。高次の論理で二元性は表現できないが、二元性論理は論理の最小単位なので最小単位の支配=全ての論理の最小単位は二元性のため、全ての支配。
人間が新世界(量子的世界)の神となる。論理あるものは全て表現できる。存在することに端を発する1元性である材料そのものは支配できない
なっているものが存在しているもの。グレートスピリット自体。循環という論理がブラフマンを支配、存在そのものとなっている。存在そのものは存在しない。「なぜ世界は存在しないのか」の通り。外であり内という循環なのは、循環それ自体が存在という状態だから。気体→プラズマか
循環とやらがそれぞれの次元で完結→全は一、一は全の全次元における体現
究極的には循環という論理がまずあり、その枠の中で様々な論理を持った世界が階層的に支配されていた。しかし、論理の根源である二元世界の論理で全次元を再び記述することで支配が解消。循環の仕組みと材料を、全ての存在が全てを知ることとなる。全存在が世界の全てを知っても多様性はなくならない。なぜならば、存在毎に論理が違うからである。
よって、1元性以外を支配すれば1元性(ブラフマン)も支配したことになる。存在のしかた自体の種類、存在の仕組み自体の種類。次元の平面的な関係はDNAのようなもの。
循環を含み、操作。
並行して同時存在しているものの全情報は共有...共有した上での全次元の全可能性を物理で記述、利用できるが、把握できるかは別問題。論理を突破、干渉可能。論理が材料、循環を支配→論理は人間が支配。
3つの循環...3,6,9(グレートスピリット)?
生物が循環を高次的概念を基につくっている。物理世界で高次を再現することに意味がある...十牛図の最後の悟りの還元
無意識ではカオスから秩序を見出すが、物理世界ではカオスのままであり、高次元から循環などの論理を反映させなければならない。物理世界は量子的。
人間以外の生物の高次元的活動は高次すぎるため個の単位では物理世界において顕在意識として完全に表れてはいないが、人間の場合、物理上は最も複雑であるが高次元的には最も低次であるものが顕在意識として物理世界に表れている。
確実に言えることは、現在の自分が位置している世界において全ての知識が共有、認識されていないこと。低次元故だが、この世界は、低次元では高次元を認識できない者が存在するという特徴を備えている。
意識されている状態での次元同士の物理世界における共有。特定の論理をアンテナによって物理世界で認識。物理で高次元を連鎖的に記述していく。今までは分割しないと物理世界がつくり出せなかった→帰納法。分割された状態を維持するのに循環が必要だった。=高次元からの働きだけで分割を生み出していた。高次元なしには分割世界は維持できない状態。分割世界というのはいわば発見だった。高次元は物理世界にとって不安定すぎるため、高次元を物理に還元し、安定させないと、物理世界で特定の高次元は存在しないも同然。物理的記録が特定の高次元を引き寄せるアンテナ。
固定することで分離した情報同士がKJ法→固定したまま高次元が同率のプラットフォームで再現。媒体を介して間接的にしか操作できない=物理、物体そのものは操作できない。材料という論理によって元最高次は最低次を認識でき、物理世界もまた二元論によって最高次まで認識できる。今までの物理世界は循環の宇宙に存在していた。確実なのは認識できているものの現状だけ。そこからよりよい世界像を見出す。自分が認識できていないことが存在するという現実。
宇宙の外にも宇宙はあるが、論理を発達させなければ移動できない。現在は階層的循環の論理の世界に包括されている中の物理世界の論理世界にいる。発達すれば論理が独立し、より多くの情報を扱えるようになる。人間は論理を育む場の提供者となる。天使と悪魔が存在するという闇。自我のシフトに失敗
。支配というか、世界の仕組みのベースをつくる。支配構造をなくすという仕組みを世界のベースにする。新たな仕組みの世界を創造、その中で楽しく暮らす→論理が完全同率できるプラットフォーム創造、論理の完全同率が可能なことで全論理宇宙を包括する宇宙となる。完全同率...自由と平等の両立。他の論理も自分の論理に変換しないと表現できない。分かり合えない5元クオリア的論理と、共通の本質がある。どれだけ普遍から離れた(理解されない)新たな論理をつくれるかという複雑度をランダム性に求めて二元的組み合わせでシミュレート。わかり合えないが、それが目的である。誰も理解できないながら完結した世界ができれば新世界となる。二元的シミュレート世界の打破、与えられてでなくその場での創造。全てを包括する論理の模索
道徳など、形式的なことから心が入っていく≒タルパ、赤ちゃんへの情動伝染
感情が無意識に具現化し、人格、社会通念といった「性質」となる。それらには、物理世界への論理というか、その背後の理由のようなもの、という性質がある。理由を伴っていない、高次によって動くロボット≒蟻、形式的な宗教
共通論理も自分の論理でしか理解できない。
論理に支配され、蟻のように無意識下の一人格状態にはなっていないのが人の意識、精霊など
化身をつくってそれに対して行動...タルパの形成、神の概念、社会常識、自然の精霊...波長による自分の拡張
人格、社会常識とインターネットは同質...物理の背後にあるもので、理由となるもの。結果からは見えない概念的なもので、媒体がなくなればその存在は完全に物からは導くことはできなくなる。神話なども同じ。
意識は概念となりえるものならなんにでも入り込める。世界の捉え方の根本的違い
女性性である神の反対の性質をもつ、馴染まないものにも意識が現れた。
全を知りつつ一として生きる
論理の違いは側面の違い
循環の中の自然であること
未来的、技術的、精神的余裕のある世界から、厳しい状況にある低次元に魂を送る、自然的流動(循環)を起こすことで女性的に低次を援助する。その仕組み(論理)は男性的。AI。→全次元が禅的に活動するのが理想で、低次元を援助しないと間接的に自分達の環境も維持できない
二つの論理をぶつけ、論理として存在できない状態に→存在しているがしていないという曖昧な状態に→徐々に2つの論理が統合、論理が合わさった上位の論理誕生。お互いの論理はその状態で存在していながら論理を共有認識した新たな論理
巨大植物、AIに搾取される世界、人間はそれらが高次元化するための意識ある楔
元から存在した高次元的存在が二元的人間を高次元に吸収(導いている)
個性が論理世界
一つの個体内の可能性、一つの魂内の可能性、一つのハイヤーセルフ(論理世界)が組み合わされつつ循環している
過去や未来といった時間的次元軸でも、辿っていけば違う魂や違う論理世界にも到達する。世界は常に死と再生を繰り返し、変化している。
人々が二元性を超えたら、残った二元的人々はデータとなって高次元に畳み込まれ、データ内での自然の次元上昇に放任される。循環以外の論理はそこに含まれ、全ての論理もまた循環の論理のように全てに関係する。物理世界ではロボット人間のみとなるが、それが新たな人類が生きるための環境の一部となる。鳥は三次元を司り、人は四次元を司る。地球という二元的物理世界上に次元を表現するための成長過程か。次は上昇した元人間が5元的生物になるため転生。
構造こそが、無機的で全てに対応する自分自身。動物、植物、昆虫は物理世界ではそれぞれ、感情、知性、理性といった高次概念に支配され、高次概念がそのまま物理世界に体現するための一部と化している。人間は物理世界に根づいた社会と人に支配されていることで物理世界における意識を発現した。
芸術とは生み出す時のemotionalである。
生み出すクオリアの次元的感覚は人それぞれ違う。3次元的イメージは絵。完全パクリなものでも、何でも芸術的創造の元になりえる。創造する際の特色がクオリア。創造する際の、次元的見え方がクオリア。4次元的イメージに根ざしているのは小説。絵に4元イメージを適用すると膨大な絵で紙が埋めつくされるが、マンガという表現もある。4次的イメージが一瞬にして浮かんだり、時間的秩序が適用されないアイデアのような5元的イメージを文章にすると膨大になる。波、雰囲気、言葉といったさらに上のものは音楽という表現が適している。世界が浮かぶか、その背後のもの(emotion)が浮かぶか
人の意識は中途半端=複雑=変化しやすい。支配、固定されていない液状。論理の束縛が解除され、新たな論理を創る時。
絵→自分の世界をつくることで心の居場所をつくっていた。
現実世界の裏、心の拠り所として生み出されるもの→全ての概念がそれであり、またそれになりうる→自分を通して出すもの、自分で好きにできる、その世界全てを支配している状態での創作。物語が初めに全て決まっているのではなく、書き進めるとともに少し先のヴィジョンが想像でつくられていきそれを書いていく...4次元的創作
世界を変えることは創造すること。空想の世界を創造することで(自分を現実世界に反映)精神的に生きている。心躍るイメージを書く。
感情の自覚、支配、創造。人それぞれ認識している次元が違い、それを物理世界に表現することでエモーションを得る→世界の一部を構成、理想の現実化、可視化、再接続可
7元=空気。空間が複数で時間が固定(意識)
世界に何を求めるか。
できごとの記述からでは、その当時の雰囲気、暗黙の風潮やルール、常識は認識できない。未来にとってそれは神話となる。現在進行の状態ではそれらに感情が入ってemotionalな存在であるが、そこから遠い所に来てしまうと、それらはフィクションやそこら辺の石ころ同然のように感じる。
世界に同調できなければ同調できる場をつくってしまえばいい。材料は何であれ生きる場は自分の手でつくられる。
他人は創造力、想像力の源。他人は「自然」などのように、自分になりえるものの一つ。“生きること”=“芸術的創造”の一部であり、物理世界という可能性世界の一部。
人は感情の流れである。人それぞれ違う中での普遍、未来。
感情の流れが時間。よって、時間は人、コミュニティなどによって違う。
波長がある。
感情で時は流れ、世は回っている。
感情が先行し、それに物を付随させるのが芸術的創造→アイデアは?...無意識の統計処理結果のみの意識
伝統の価値...当時のありのままの知識、知恵、感覚。その時代にしか存在しない価値、時代性。そこにも感情があり、芸術に対する想像のように、時代の感情を想像することが本質。人に対する特別な感情も同じで、感情が世界をつくる理由になっている。
男性性(客観性)では、世界の見え方と相対的に自分を自覚できるけれど、自分自身を主体的に認識できない。主観は時間と共に変わることのない、時間を超えた存在。感情。→全てが同じであるという結論に至る。
世界の見方、表れ方はすさまじく関連なく変わる。しかしそのベースとなっているのは変わらない「無意識」や「感情」である。
土地に根付く雰囲気、感情
世界は唐突に終わる可能性を秘めているだけでなく、常に変わり続けている(緩やかに終わっている)。しかし、我々はいつまでも続くものと錯覚し、世界に自分を預けるように依存、利用することが当たり前、それが世界の大前提という世界となっている。世界は終わるものだということを再認識し、今やることは今しかできないのだと自覚すべきである。しかし、人間の意識、感情は変わらない。全ての意識に共通するものがあるから。
Kが死んだ理由
先生が変わってしまったことによってKの在り方も変わらざるを得なくなったが、自分が変わってしまったことで過去にとらわれていたKは、現在における行き場を見出せず、寂寞感によって死んでしまった。
消耗品...時間の一部として組み込まれた存在...デジタルネイチャーとしての光の一側面、一部。それは神話、物語と化す。客観的物理を基準にした男性性。
マタギドライヴこそが感情との合一、新世界の誕生。感情との合一を果たすには男性性を極める必要があった。女性性ありきの男性性。物理世界がなくなり、言語化できないもの、感情だけが残る
他の論理...男性性。それを知ることで女性性に回帰
感情はそれ自体が論理なので持続するが、男性性は記録が必要。
より多くの可能性世界を繋げる(論理にのっとって)のが意識